或狼、犬に噛れて大によわり、少《ちつと》も身動《みうごかし》をする事が出來ず。 一日《あるひ》羊が近傍《そば》を通りかゝるのを見て、 近處《きんじよ》の河から水を持つて來て貰ひ度《たい》と思ひ、 臥居《ねてゐ》ながら聲をかけて、 狼 「もし足下《おまへ》が水をさへ持つて來て下されば、食物《くひもの》をば自分で見付けます。 どうぞ御頼み申します」といへば、羊中々油斷せず、 「なるほどさうで御座りませう。僕《わたし》が水を持つてズウツと膝前《おそば》へ寄ますと、 そこで貴兄《おまへさん》の喰物《くひもの》が出來るので御座りますな。」
平日他《 ひと》に畏憚《こはがら》れるものは、困る時に柔和にしても、 人が中々近親《ちかよ》りませぬ。實にまた、よわつたと云つても、 惡人は油斷のならぬもので御座ります。(補)
燕と鴉と出合ひ、イヤ吾《わし》が好鳥《よいとり》じや、 ナニ吾《おれ》が美鳥《うつくしいとり》じやと云ひ爭ひ、果なかりしが、 鴉大音をあげて、「汝《おめへ》の羽儀《うつくしい》のは夏の内計りよ。 吾《おれ》の好《いゝ》のは何年でも冬を越すぞ。」
耐久《もち》の好《よい》のは美觀《みかけ》の好《よい》より益《とく》じや。
大集會《おほよりあひ》の時、十分油をふくんで光りかゞやき居る燈火《ともしび》、 滿座の中にあつて、「ナント、日や月や星などより明るからう」と大言《たいげん》を拂ふと、 折から風が[羽/人/彡;#2-84-91]々《フウツ》と吹いて來て、燈火忽ち滅《けさ》れたり。 時に壹人火奴《つけぎ》で明《あかり》を點けながら、「コウ、光《ひか》ンなせへ。 燈公《とうこう》、以來口をきゝなさんな。ヱ、天の光は決《けつし》て吹滅《ひきけさ》れやアしねへぜ。」
前後《あとさき》見ずに餘り大言を拂ふと、直《ぢき》に頭を壓《おさへ》られるものじや。(補)
或牧人《うしかひ》家牛《かひうし》を失つて、何所へ行つたかと山や林を尋ねあるけども見當らず。 終に尋ねあぐんで、なんでも他《 ひと》に奪去《とら》れたに相違はないと、 山の神や土地の神へ願をかけ、「もし盜賊《どろぼう》を見付ける事が出來ましたなら、 御禮に羊一疋獻備《おそなへ》申ませう、南無大明神、南無大明神」と祈りながら、 東西《あつちこつち》へ巡歴《へめぐ》りあるき、不圖《ふと》ある山の背へあがると、 獅子が失《なくな》つた大牛の死骸を押へて、殆《すんでに》喰はんとする處を見出したり。 牧人《うしかひ》是を見て驚愕《びつくり》し、「南無大明神、南無大明神、此災難を逃させ給へ。 逃了《にげおふせ》る事が出來ましたなら、 必《きつ》と御禮に彼《あの》牛を拜具《さしあげ》ませう」と云ひけるとぞ。
神佛への願事《ねがいごと》が、悉皆《みな》御聞屆けになつたなら、 さぞや多《おほく》の人が自分の願つたので困る事が出來るだらう。
或河堤《つゝみ》に生長《おひたち》たる橡[木|解;#1-86-22]《かしのき》、 大風の時に根返りして河を流れ下りけるに、汀《みぎは》に無事に茂りゐる蘆を見て、 「是は如何に、かやうに細く軟弱《たをやか》なるものゝ嵐に保ちぬるとは不思議なり。 吾《わが》如き太き強きものゝ堪へざりしには似ざりき」とつぶやくを、 蘆遙かに聞きとりて、「左樣に驚き給ふな、御邊はあの樣な嵐に逆《むかつ》て只一筋に曲《まがる》まじとせられしゆゑ、 吹倒されたるなり。吾《われ》は輕《わづ》かの風にさへ伏《ふし》つ曲《まが》りつ避《さく》るゆゑ、 いつも無難に候ぞ」と云ひける。
赤貧《ごくひん》のきこりが、一日《あるひ》河畔《かはのほとり》にて樹を伐り居たりしに、 過《あやまつ》つて斧を水中に取落し、忽ち生業《なりはひ》の資本《たつき》を失つて、 歎き哀しむ事限りなし。其時河の守護神なる水星明神忽然とあらはれ給ひ、 きこりの願《ねがひ》を納受あつて、直《ぢき》に水中に沈《しづみ》給ひしが、 しばらくして金の斧を持出給ひ、「汝の斧は是なりりや[注:しやの誤り?]」と問ひ給ふ。 きこり是を見て、「否《いな》是は僕《やつがれ》のにては候はず」といふ。 神《しん》また水中にいり、此度は銀の斧を持出給ひ、 「是こそ汝の斧にて有るべけれ」といひ給ふ。きこり是を見て、 「否《いな》是にても候はず」といふ。神《しん》また水中にいり、 鐡の斧を持出給ひ、「是なりしや」と問ひ給ふ。きこり是を見て踊躍《こをどり》し、 「是こそ僕《やつがれ》の失たる斧にて候、あら嬉しや」と云ひければ、 神《しん》其正直を賞《ほめ》給ひ、鐡の斧へ金銀の斧を取添へて、 ひとしくきこりにあたへ給へり。扨此きこり夕方になりて、村の内へ立歸り、 ありし事どもを仲間のものへ話すと、その内の慾の深い男が、 己《おのれ》も同じ利運《まうけ》にあり付きたいことだと、 其明日《あくるひ》に同《おなじ》處へ尋《たづね》ゆき、 樹を伐る樣な眞似をして斧を水中へ投《はう》り込み、こゝぞと河原に打伏て、 いと哀しげに立ち居たれば、水星明神果して出現あつて、 願《ねがひ》の譯を聞き給ひ、忽ち水中にいり給ひしが、須臾《ほどなく》金の斧を持出給ひ、 「汝の斧は是なりしや」と問ひ給ふ。男あわてゝ手をさし出し、 「是ぞたしかに我《わが》失《うしなつ》たる斧にて候」と云ひて、 殆《すで》に握《つかま》んと爲しければ、神《しん》大に怒り給ひ、 その邪曲《よこしま》をいたく惡《にく》んで、金の斧を授け給はぬのみならず、 前に落せし斧をさへ、返《もど》し給はざりけりと。
正直こそ益《とく》を取るよき手段《てだて》なれ。
或日鶴と雁と同じ畑に降りて、餌をあさり居たるが、 忽ち狩人《かりうど》出來《いできた》りたり。鶴は痩て輕きゆゑ、 是を見ると鼓翼《はねばたき》をして、唯一途《いつさんまい》に飛び去りしに、 雁は肥《ふとつ》て重きゆゑ、急に逃去る事が出來ず、つひに狩人に獲《と》られけると。
世の中騷動する頃は、重きものより輕きものこそましなれ。
獅子と他《ほか》の獸《けだもの》と狩に出て、肥たる鹿一頭《いつぴき》を獲《とり》たり。 その時獅子自ら行司と稱し、是を三つに引裂いて、扨云ひけるは、 「拙者獸長《とりどり》の事なれば、官資《やくれう》として先づ一ツ引き取るべし。 其次は拙者狩に加りたる事なれば、自身の所得としてまた一ツ引取るべし。 第三分《みわけめ》に至りては、誰にもあれ吾言《わがこと》を肯《うけが》ふもの是を引取るべし。」
威勢の盛なるものには、我意《がい》の振舞多きものと知れ。(補)
牛の頭の廻りをぶん〜舞《まはつ》て居た蚊が、角《つの》の上にちよつと止り、 「うしさん、まつぴら御免なさい。もし私が重《おもく》て御迷惑なら、 直《ぢき》に立去りませう、どうぞそうおつしやつて下され」 牛 「何《なあ》に、汝《おめへ》が止たとて、吾《わし》の頭の迷惑になりはしませぬ。 イヤモウ御去《おたち》なさらうとも、御止りなさらうとも、御勝手次第。 實情《ほんたう》を申さうなら、 何處に汝《おまへ》が御座るのだか少《ちつと》も知れやしませぬ。」
心が小ければ考も亦小さい。
歳徳神《さいとくじん》、海王權現、才智菩薩、天上に會合せられしとき、 各《おの〜》法力を以て能調《よくとゝの》へる一物を制作《つくりいだ》さんとの申合せありたり。 そこで歳徳神は人をこしらへ、才智菩薩は家をこしらへ、 海王權現は牛をこしらへらるゝ。時に諧謔尊者《なんだらそんじや》なるもの、 いまだヲリンピュス(ギリシヤの靈山)より來會《きたり》たまはざりければ、 幸ひ尊者を判者《はんじや》の役にあてゝ、 誰の制作《さいく》が能《よく》行屆《ゆきとゞい》て闕畧《ぬけめ》がないといふ事を定めさせんと待れたりしに、 ほどなく尊者これを見て莞々《から〜》と打笑ひ、先づ牛を指《さし》て曰く、 此角は敵を突く時に目の見えんがために、眼《まなこ》の下にあつてよし。 次に人をさして曰く、心の邪正《じやしやう》の見ゆべきために、 胸のあたりに窓ありたきものぞ。次に人家をさして、風儀の惡い隣家を避んがために、 なぜ車を付けさつしやらぬぞといはるゝと、歳徳神が突然《つゝと》立つて、 尊者を座より引出して曰、短所《あら》をいふ奴は決してすかれやアしねへぞ、 自分で一番好物《いゝもの》を拵《こしらへ》た上で、 他《ほか》のものゝ月旦《へう》を打《うち》アがれ。
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