通俗伊蘇普物語:第六十一〜七十

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第六十一 犬に噛れた狼の話(81)

或狼、犬に噛れて大によわり、少《ちつと》も身動《みうごかし》をする事が出來ず。 一日《あるひ》羊が近傍《そば》を通りかゝるのを見て、 近處《きんじよ》の河から水を持つて來て貰ひ度《たい》と思ひ、 臥居《ねてゐ》ながら聲をかけて、 「もし足下《おまへ》が水をさへ持つて來て下されば、食物《くひもの》をば自分で見付けます。 どうぞ御頼み申します」といへば、羊中々油斷せず、 「なるほどさうで御座りませう。僕《わたし》が水を持つてズウツと膝前《おそば》へ寄ますと、 そこで貴兄《おまへさん》の喰物《くひもの》が出來るので御座りますな。」

平日他《 ひと》に畏憚《こはがら》れるものは、困る時に柔和にしても、 人が中々近親《ちかよ》りませぬ。實にまた、よわつたと云つても、 惡人は油斷のならぬもので御座ります。(補)

第六十二 燕と鴉の話(86)

燕と鴉と出合ひ、イヤ吾《わし》が好鳥《よいとり》じや、 ナニ吾《おれ》が美鳥《うつくしいとり》じやと云ひ爭ひ、果なかりしが、 鴉大音をあげて、「汝《おめへ》の羽儀《うつくしい》のは夏の内計りよ。 吾《おれ》の好《いゝ》のは何年でも冬を越すぞ。」

耐久《もち》の好《よい》のは美觀《みかけ》の好《よい》より益《とく》じや。

第六十三 燈火《ともしび》の話(87)

大集會《おほよりあひ》の時、十分油をふくんで光りかゞやき居る燈火《ともしび》、 滿座の中にあつて、「ナント、日や月や星などより明るからう」と大言《たいげん》を拂ふと、 折から風が[羽/人/彡;#2-84-91]々《フウツ》と吹いて來て、燈火忽ち滅《けさ》れたり。 時に壹人火奴《つけぎ》で明《あかり》を點けながら、「コウ、光《ひか》ンなせへ。 燈公《とうこう》、以來口をきゝなさんな。ヱ、天の光は決《けつし》て吹滅《ひきけさ》れやアしねへぜ。」

前後《あとさき》見ずに餘り大言を拂ふと、直《ぢき》に頭を壓《おさへ》られるものじや。(補)

第六十四 牧人《うしかひ》と家牛《かひうし》の話(88)

或牧人《うしかひ》家牛《かひうし》を失つて、何所へ行つたかと山や林を尋ねあるけども見當らず。 終に尋ねあぐんで、なんでも他《 ひと》に奪去《とら》れたに相違はないと、 山の神や土地の神へ願をかけ、「もし盜賊《どろぼう》を見付ける事が出來ましたなら、 御禮に羊一疋獻備《おそなへ》申ませう、南無大明神、南無大明神」と祈りながら、 東西《あつちこつち》へ巡歴《へめぐ》りあるき、不圖《ふと》ある山の背へあがると、 獅子が失《なくな》つた大牛の死骸を押へて、殆《すんでに》喰はんとする處を見出したり。 牧人《うしかひ》是を見て驚愕《びつくり》し、「南無大明神、南無大明神、此災難を逃させ給へ。 逃了《にげおふせ》る事が出來ましたなら、 必《きつ》と御禮に彼《あの》牛を拜具《さしあげ》ませう」と云ひけるとぞ。

神佛への願事《ねがいごと》が、悉皆《みな》御聞屆けになつたなら、 さぞや多《おほく》の人が自分の願つたので困る事が出來るだらう。

第六十五 橡[木|解;#1-86-22]《かし》と蘆の話(91)

或河堤《つゝみ》に生長《おひたち》たる橡[木|解;#1-86-22]《かしのき》、 大風の時に根返りして河を流れ下りけるに、汀《みぎは》に無事に茂りゐる蘆を見て、 「是は如何に、かやうに細く軟弱《たをやか》なるものゝ嵐に保ちぬるとは不思議なり。 吾《わが》如き太き強きものゝ堪へざりしには似ざりき」とつぶやくを、 蘆遙かに聞きとりて、「左樣に驚き給ふな、御邊はあの樣な嵐に逆《むかつ》て只一筋に曲《まがる》まじとせられしゆゑ、 吹倒されたるなり。吾《われ》は輕《わづ》かの風にさへ伏《ふし》つ曲《まが》りつ避《さく》るゆゑ、 いつも無難に候ぞ」と云ひける。

第六十六 水星明神と樵夫《きこり》の話(93)

赤貧《ごくひん》のきこりが、一日《あるひ》河畔《かはのほとり》にて樹を伐り居たりしに、 過《あやまつ》つて斧を水中に取落し、忽ち生業《なりはひ》の資本《たつき》を失つて、 歎き哀しむ事限りなし。其時河の守護神なる水星明神忽然とあらはれ給ひ、 きこりの願《ねがひ》を納受あつて、直《ぢき》に水中に沈《しづみ》給ひしが、 しばらくして金の斧を持出給ひ、「汝の斧は是なりりや[注:しやの誤り?]」と問ひ給ふ。 きこり是を見て、「否《いな》是は僕《やつがれ》のにては候はず」といふ。 神《しん》また水中にいり、此度は銀の斧を持出給ひ、 「是こそ汝の斧にて有るべけれ」といひ給ふ。きこり是を見て、 「否《いな》是にても候はず」といふ。神《しん》また水中にいり、 鐡の斧を持出給ひ、「是なりしや」と問ひ給ふ。きこり是を見て踊躍《こをどり》し、 「是こそ僕《やつがれ》の失たる斧にて候、あら嬉しや」と云ひければ、 神《しん》其正直を賞《ほめ》給ひ、鐡の斧へ金銀の斧を取添へて、 ひとしくきこりにあたへ給へり。扨此きこり夕方になりて、村の内へ立歸り、 ありし事どもを仲間のものへ話すと、その内の慾の深い男が、 己《おのれ》も同じ利運《まうけ》にあり付きたいことだと、 其明日《あくるひ》に同《おなじ》處へ尋《たづね》ゆき、 樹を伐る樣な眞似をして斧を水中へ投《はう》り込み、こゝぞと河原に打伏て、 いと哀しげに立ち居たれば、水星明神果して出現あつて、 願《ねがひ》の譯を聞き給ひ、忽ち水中にいり給ひしが、須臾《ほどなく》金の斧を持出給ひ、 「汝の斧は是なりしや」と問ひ給ふ。男あわてゝ手をさし出し、 「是ぞたしかに我《わが》失《うしなつ》たる斧にて候」と云ひて、 殆《すで》に握《つかま》んと爲しければ、神《しん》大に怒り給ひ、 その邪曲《よこしま》をいたく惡《にく》んで、金の斧を授け給はぬのみならず、 前に落せし斧をさへ、返《もど》し給はざりけりと。

正直こそ益《とく》を取るよき手段《てだて》なれ。

第六十七 鶴と雁の話(94)

或日鶴と雁と同じ畑に降りて、餌をあさり居たるが、 忽ち狩人《かりうど》出來《いできた》りたり。鶴は痩て輕きゆゑ、 是を見ると鼓翼《はねばたき》をして、唯一途《いつさんまい》に飛び去りしに、 雁は肥《ふとつ》て重きゆゑ、急に逃去る事が出來ず、つひに狩人に獲《と》られけると。

世の中騷動する頃は、重きものより輕きものこそましなれ。

第六十八 獅子と他《ほか》の獸《けだもの》と狩に出た話(95)

獅子と他《ほか》の獸《けだもの》と狩に出て、肥たる鹿一頭《いつぴき》を獲《とり》たり。 その時獅子自ら行司と稱し、是を三つに引裂いて、扨云ひけるは、 「拙者獸長《とりどり》の事なれば、官資《やくれう》として先づ一ツ引き取るべし。 其次は拙者狩に加りたる事なれば、自身の所得としてまた一ツ引取るべし。 第三分《みわけめ》に至りては、誰にもあれ吾言《わがこと》を肯《うけが》ふもの是を引取るべし。」

威勢の盛なるものには、我意《がい》の振舞多きものと知れ。(補)

第六十九 蚊と牛の話(98)

牛の頭の廻りをぶん〜舞《まはつ》て居た蚊が、角《つの》の上にちよつと止り、 「うしさん、まつぴら御免なさい。もし私が重《おもく》て御迷惑なら、 直《ぢき》に立去りませう、どうぞそうおつしやつて下され」 「何《なあ》に、汝《おめへ》が止たとて、吾《わし》の頭の迷惑になりはしませぬ。 イヤモウ御去《おたち》なさらうとも、御止りなさらうとも、御勝手次第。 實情《ほんたう》を申さうなら、 何處に汝《おまへ》が御座るのだか少《ちつと》も知れやしませぬ。」

心が小ければ考も亦小さい。

第七十 神彿天上の話(99)

歳徳神《さいとくじん》、海王權現、才智菩薩、天上に會合せられしとき、 各《おの〜》法力を以て能調《よくとゝの》へる一物を制作《つくりいだ》さんとの申合せありたり。 そこで歳徳神は人をこしらへ、才智菩薩は家をこしらへ、 海王權現は牛をこしらへらるゝ。時に諧謔尊者《なんだらそんじや》なるもの、 いまだヲリンピュス(ギリシヤの靈山)より來會《きたり》たまはざりければ、 幸ひ尊者を判者《はんじや》の役にあてゝ、 誰の制作《さいく》が能《よく》行屆《ゆきとゞい》て闕畧《ぬけめ》がないといふ事を定めさせんと待れたりしに、 ほどなく尊者これを見て莞々《から〜》と打笑ひ、先づ牛を指《さし》て曰く、 此角は敵を突く時に目の見えんがために、眼《まなこ》の下にあつてよし。 次に人をさして曰く、心の邪正《じやしやう》の見ゆべきために、 胸のあたりに窓ありたきものぞ。次に人家をさして、風儀の惡い隣家を避んがために、 なぜ車を付けさつしやらぬぞといはるゝと、歳徳神が突然《つゝと》立つて、 尊者を座より引出して曰、短所《あら》をいふ奴は決してすかれやアしねへぞ、 自分で一番好物《いゝもの》を拵《こしらへ》た上で、 他《ほか》のものゝ月旦《へう》を打《うち》アがれ。

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osawa
更新日: 2003/04/08
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