通俗伊蘇普物語:第七十一〜八十二

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第七十一 日輪の妻迎《つまむかへ》の話(100)

極熱《こくしよ》の時分に日輪妻を迎給ふとの評判あつて、 鳥も獸もめでたしと祝し、蛙もともに歡合《よろこびあひ》けるを、 古老の蛙が聞込んで眉をひそめ「是は中々歡《よろこ》ぶ處ではあるまい、 憂ふべき事だらう。獨《ひとり》の時日《このてんたう》さまでさへ、 堪られぬほど沼を乾上さつしやるのに、 小い日輪《てんたう》さまがこの上副《ふえ》さつしやつたなら、 我輩《わしども》はマア如何《どう》なる事ぞ。」

暴君の民に厭《いとは》るゝ事如此し、如何ぞ遺種《ゐしゆ》ある事を慾せられんや。

第七十二 盜人《ぬすびと》と母の話(101)

或手習子手癖《てくせ》惡くして、朋輩《ほうばい》の筆紙などをしば〜盜んで持歸りしが、 母叱りはせずして、却て働きものなりと譽《ほめ》けり。 その子成長するに從ひ、盜《ぬすみ》ごと次第に増長して、 貴重《ねうち》のものをさへ盜む樣になりしかば、 果《はて》は公儀の手にかゝり、法場《おきてのには》に引かれたり。 その時母はかなしみに堪ず、いかにもして最後を見屆け、 念佛をも申さんと、泣々群集に立ちまぎれ、後に尾《つき》つゝゆきたるが、 その子は目早く見て取て、附添の役人に打向ひ、「彼處《あそこ》に來る我母へ、 何卒最後の一言を演《のべ》申度《たし》」と云ひければ、事もなしとて許されたり。 そこで母は涙を拭ひ、「何事をいひ置くぞ、いざ申されよ」といひながら、 耳を口もとへさし寄すれば、其子は只怨めしやといふ一言にて、 母の耳朶《みゝたぶ》を噬《く》ひきりたり。此騷《さわぎ》にて人々打寄《うちより》、 母をいたわり介抱して、實に汝《おまへ》の息子殿は人でなし、 今までの罪はさて置て、此度の事は大惡無道と、いたく罵り噪《さわ》ぎゐたれば、 其子靜に囘顧《ふりかへつ》て、「列位《みなさま》左樣におつしやるな。 私を此極《こゝ》に至らせましたは、固《もと》はといへば母の所爲《わざ》。 私がまだ幼少《ちひさ》いときに、朋輩《ほうばい》のものを盜《とり》ましたのを、 嚴く叱て下されば、今日の事はありませぬ。嗚呼怨《うらめ》しイ」といひけるとぞ。

惡事をば萠芽《めだし》の内に摘切《つみき》るがよい。 なんでも棒を手そばに置いて、童兒《こども》の折檻を怠るな。

第七十三 猫と鼠の話(102)

猫年老《としとつ》て壯時《まへかた》の樣に鼠を追駈《おつかけ》る事が出來ず。 そこで如何《どう》かして手の屆く處へ、鼠を誑誘《おびきよ》せんと思ひ、 自ら體を袋に入れ、首と手足をさし出し、死たる猫の吊された樣に見せて、 低架《たな》の腕木へ足を踏みかけ、手を下へつき、倒態《さかさま》になりて息を殺して居ると、 やがて老鼠《ふるねずみ》二疋天井より降來て、遠くより是を伺ひ、 中々傍へは寄も付かず。一疋の鼠が友鼠《ともねずみ》に囁く樣、 吾《おれ》はマア今まで幾箇《いくつ》も袋を見たが、 まだ猫の首の付いて居る袋を見た事はない。 友鼠 「イヤ嫗公《おばあさん》、いつまでも其處へ御勝手に下《さがつ》て御座れ。 假令《たと》へ汝《おまへ》が藁で箱詰になつたとて、 手の屆くところへナニ往《ゆき》はしませぬ。」

老鳥は籾《もち》でつかまりはせぬ。なんでも年が重《よ》れば見わけが付いて來るものじや。

第七十四 獅子王と相談獸《さうだんにん》の話(103)

獅子王羊を呼び、近頃我息は臭きやととふ。羊答へて、左樣で御座りますといふと、 獅子王、馬鹿な奴じやと云つて其の首を喰切たり。 次に又狼を呼び、我口の臭《にほひ》は如何にと問ふ。 狼答へて、至つて佳香《よいにほひ》で御座りますといふと、 獅子王また怒《いかつ》て、此諂諛《へつらひ》ものめと云て寸斷《ずた〜》にひき裂《さい》たり。 そこでまた狐をよび、我息はどんな臭《にほひ》じやといふと、狐畏《かしこまつ》て、 臣《わたくし》は近頃冐寒《ふうじや》で御座りまして、絶《とん》と鼻がきゝませぬ。

悧巧のものは危いときに何とも云はぬものじや。

第七十五 一雙《ふたつ》の壺の話(106)

或河に一雙《ふたつ》の壺流れ下る。其一ツは陶《やきもの》にして、 其一ツは唐銅《からかね》なり。唐銅《からかね》後より聲をかけ、 「オイ陶《すゑ》さん、一寸御待ちな、同伴《いつしよ》に參りませう。 成丈け側へ御寄りなさい。私が保護《かはつ》て上るから」といへば、 すゑ 「夫は難有《ありがた》う。しかしそれが私には一番の禁物で御座ります。 汝《あなた》が遠ざかつて居りさへ下されば、私は無難で下りますが、 もし汝《あなた》が近くよつて、錚然《ごつきり》とでもおやんなさると、 私は直《ぢき》に破滅《まゐつ》て仕舞ます。」

餘り強いものゝ近邊《そば》には居らぬがよい。 何かもめが出來るといつでも弱い方が負《まけ》だ。

第七十六 醫者と病人の話(107)

何庵《なにあん》とかいへる庸醫《やぶい》、或病者を預りしに、例の伎倆《てぎは》なれば、 治療屆かずして病人死《しに》たり。葬禮の日に醫者親類ととも〜゛供に立ち、 路にて醫者 「アヽ、此佛さまも酒を控へ養生を能《よく》なさつたら、今日の事はありませぬのに」と云へば、 施主の壹人が勃然《むつと》して、「なる程貴老の御言葉じやが、 夫を今おつしやるのは無益千萬、なぜ當人が生てゐる内、其事をおいひなさらぬ。」

好《いゝ》勘辨は兎角後期《あと》から出るものじや。

第七十七 衆鼠商議《ねずみだんがふ》の話(108)

或頃鼠どもが猫に手ひどく苦《くるしめ》られ、此害をのぞく好き手腕もがなと、 一夜《あるよ》衆鼠《ねずみ》會同《よりあひ》をなして、 [商,(八/口)@古;#2-04-04]議《だんがう》をはじめたり。 そのとき席上において種々《いろ〜》の獻策《まをしたて》ありて、夫々詮議を遂げられたれど、 是ぞとおもふ謀計《はかりごと》もなし。 然るに最後《ごくをはり》に至つて遙か末座より一疋の小鼠が進出《すゝみいで》、 いと驕色《ほこりか》に申し立つる樣、「我輩《わがともがら》の彼《かの》猫に多く取らるゝは、 畢竟彼の近寄るを知らずして各《おの〜》油斷するがゆゑなり。 よつて此後は彼《かの》猫の頂領《くびたま》に鈴をつけ置《おか》む。 然るときは彼の來る事知れ易くして我逃げ事遲からじ」と。 衆皆《みな〜》此謀《はかりごと》を聞いて感伏《かんぷく》し、 異口同音に可然《しかるべし》とぞ同じける。 その時傍《かたはら》に默然として控へたる老鼠《ふるねずみ》、 恐る〜進み出で、座中をきつと見渡して、物靜に申立つる樣、 「此策《はかりごと》極めて妙なり。其效能も亦著明《いちじるし》かるべし。 但し茲《こゝ》に承る度き一事あり、誰殿が猫の領《くび》に鈴を付けに參らるゝや。」

議論は議論、實地は實地なり。

第七十八 獅子と野羊《やぎ》の話(109)

三伏の夏の暑さに堪かねて、生靈《しあゆるい》のなやみ喘《あへ》ぐ頃、 清水の湧出る處へ獅子と野羊と同時に水を飮《のみ》に來て、 イヤ吾《おれ》が先じや、汝《てめへ》が後じやと、相互ひにいひつのり、 果は噬合《かみあ》ひ掴み合ひ、死すとも負じ讓らじと、 挑み爭ひ居たりけるが、餘りに息切れ堪難きゆゑ、暫時雙方相引《あひびき》にして、 頭上《あたまのうへ》を見上げたれば、一群《ひとむれ》の[亶|鳥;#1-94-72]《とび》翼をのして、 孰《どちら》でも死だ方を餌にしませうと、歡舞《よろおびまひ》をして居るゆゑ、 獅子も野羊も始めて氣がつき、「イヤ御互に[亶|鳥;#1-94-72]《とび》や鴉の餌にならうより、 是から中よくいたしませう」と、直《ぢき》に喧嘩はやみたりとぞ。

外寇は内憂を鎭むるの一助なるぞ。

第七十九 鶩《あひる》黄金《こがね》の卵を産む話(110)

或人鶩《あひる》を飼《かひ》しに、日々黄金《こがね》の卵一ツを産めり。 主人是をよろこぶ事かぎりなし。雖然《されど》かく日に一ツづゝにては益《とく》の付方甚だ遲し、 如かず一度に寶を得たらんにはと、やがてあひるをしめころして腹のうちをせんさくするに、 さらに尋常のあひるにことなる事なかりしと。

日々少しづゝの得分《まうけ》あらば扨やみなん、 餘りあこぎに得んとすると本銀《もとで》までも失ふものぞ。

第八十 餐饗《ちそう》に招かれた犬の話(112)

或大家《たいけ》饗應《ちそう》を設け、友人を招きしに、 友人の飼犬主の後に尾《つい》て同じく其家に入れ來れり。 其とき主家《あるじ》の飼犬も我主の脇に立て友犬《ともいぬ》を出迎へ、 「これはよう御いでなされた。今晩は御一處に山海《ちそう》を食べませう」といへば、 客方《きやくがた》の犬謝辭《れい》をのべ、饗應《ちそう》の用意があるのを見て、 「イヤア盛んな御料理だ。これは好《よい》時候《をり》に參りました。 緩々《ゆつくり》と拜甞《いたゞき》まして、今晩多量《たんと》食置《くひおき》をしませう、 明日はなにも食物《くひもの》がありますまいから」と獨言《ひとりごと》をいひながら、 嬉しまぎれに尾を揮《ふる》と、其揮《ふつ》た尾が料理人の目に留り、 料理人 「イヤアこれは何處の犬だ」と、ズツと寄つて引掴《ひつつかま》へ、 窓の外へ投《はう》り出すと、近處の犬が數疋駈寄り、 「コウどんな佳味《ちそう》を食ひなさつた」ときけば、 投《はう》り出された犬痛さをこらへ冷笑《あざわらひ》をしながら、 「私《わし》はどうして内から出たか知らぬほど飮過たから、イヤモウ、 絶《とん》とわすれました。」

他《 ひと》の尾《しり》に附《つい》てはいるものは、 窓から投《はう》り出される憂があります。

第八十一 蛙の主人を求る話(115)

むかし或池に群蛙《かひる》すみて、何事もゆるやかに心まかせなりけるに、 互に我慢の振舞まさりて、終《つひ》に治まりがたくなりければ、 ある日蛙等相集り、天を仰で諸共《もろとも》に、 「我輩《われともがら》を統御ゆべきよき主人をたまはれ」と、 願ひ訴へ申したり。天神《てんしん》是を聞き給ひ、 益《やく》もなき事なりと笑つて、只一本の丸柱《まるはしら》を天上より投下し給ふ。 其水を打ち波を揚げたる音いとすさまじかりければ、今まで打寄り噪居《さわぎゐ》たる蛙等、 おのゝき恐れ、水をくゞりて皆泥の中に潛みかくれ、しばらく出も得ざりしが、やがて先がけの蛙ありて、 水の面《うへ》に首さし出し、事の樣《さま》を伺ひしに、 柱の落ちたるなりければ、さらば新主人の噐量を試んと、獨り柱へ近付くを、 他の蛙共遙に見て、我も〜と浮み出で、柱の側に伺候せり。 されども固《もと》より無心の木なれば、蛙は次第に恐懼《こわき》を忘れ、 果は主人へ跳上り、狎侮《なれあなど》るにいたりたり。其時蛙は、 かく主人のおとなしくして氣力のなきを甚だ不足の事に思ひ、再び天を打仰《うちあふい》で、 「何卒他《ほか》の勢《いきほひ》ある主人を授け給はれ」と、 願ひ訴へ申したり。天神《てんしん》是を聞き給ひ、惡《にく》き奴等が願かなと、 一羽の鷺《さぎ》を送り給ふ。その鷺下界に降るや否や、直《ぢき》に蛙を取り初て、 次第々々に餌となしければ、蛙どもは驚き恐れ、天を仰いで打歎き、 「なにとぞ憐《あはれみ》をたれ給へ、救ひ給へ」と大聲をあげて、 水神を以て詫《わび》奉れば、天神是を聞き給ひ、 「如今汝等の天罰は、則《すなはち》自業自得なり。 然らば此後は折合つて互に仲よく世を送《わた》れ、 決して天の賦與《あてがひ》を不足として益《やく》もなさぬ事を願ふな。」 と懃ろに戒め給ひしとぞ。

第八十二 驢馬と主人の話(116)

或驢馬最初百姓に飼れたるに秣《かひ》少く且骨が折て勤づらく思ひ、 歳徳權現へ願をかけて、どうぞ此辛苦《くるしみ》を救ひ給へ、他家へ移し給はれと祈ければ、 權現惡《にく》き奴かなとて、是を車屋へ遣はし給ふ。 因《よつ》て驢馬は以前よりは重載《おもに》を引き、 骨が折れて堪《こた》へられず。そこでまた權現へ願をかけて、 なにとぞ此難儀を救ひ給へ、たすけ給へと祈りければ、權現ます〜怒り給ひ、 今度は革屋へ送り給ふ。かく驢馬は主がへをする度毎に、段々造化《しあはせ》が惡くなり、 骨の折れかたもましたれば、或日主人の仕事をして居るのを見て、 歎息していふ樣、「アヽ、吾《おれ》ほど運のわるものはないぞ。 以前の旦那へ奉公したが一番よかつたつけ。己《おれ》が當時勤て居る旦那は、 生て居る内殘酷《むごく》遣はつしやる許りじやアねへ、 死だ後も免《ゆる》さつしやりヤアしない。」

一處《ひとつところ》に安んずる事を知らぬものは、生涯心落つかずして、 他所《ほか》へ移る度毎に不運《ふしあはせ》になるものじやぞ。

(松崎實校)

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osawa
更新日: 2003/04/08
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