通俗伊蘇普物語:伊蘇普小傳
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伊蘇普小傳
希臘亞《ギリシヤ》の賢人伊蘇普《イソツプ》は、紀元前五六百年の際《あひだ》に當り、
小亞細亞の比利西亞《ヒリシヤ》といふ處に生れたる人なり。
此人少時はなはだ薄命《ふしあはせ》にて、
希臘亞《ギリシヤ》の雅典《アテネ》の市人に身を鬻《ひさ》ぎて奴《ど》となり、
既にして復《また》小亞細亞沙摩斯《サモス》島の撒入斯《ザンジユス》氏及び邪的門《ヤドモン》氏へ轉賣《うりかへ》られ、
茲《こゝ》に數年の星霜を送りたるに、或功勞を立てたるにより遂に其身を贖《あがな》ふ事を得て、
始《はじめ》て不羈《じいう》の身となりたり。是に於て伊蘇普は四方周遊の志を發《おこ》し、
王侯に説き士庶《しみん》に諭すに專ら寓言諧詼《ぐうげんかいくわい》を以《もつて》せり。
故に榮時《そのかみ》才學の富贍《ふせん》なる事を世に知られ、
後世《のちのよ》になりては寓言譬諭の鼻祖《せんぞ》と稱せらるゝに至れり。
扨此時に當りて小亞細亞の里地亞《リヂヤ》國といふは天下比《ならび》なき富強の國なりしが、
其王挌爾索《ケルシユス》、伊蘇普の高名を聞き、禮を厚うして宮中に招き給ひ、
其才識を試みられしに、實に海内無雙《かいだいぶさう》の賢才なりければ毎事《ことごと》に諮問《しぶん》ありたり。
因て伊蘇普は暫く其朝に止《とゞま》り居られたるに、
或時王の密旨《ないめい》を受けて得爾比《アルヒ》に使《つかひ》せられし事ありける。
然るに或事より國人の暴怒《いかり》を起し、遂に兇人《わるもの》の手に捕はれて、
名に聞えたら得爾比《アルヒ》山の絶頂より百仞の谷底へ投落《なげおと》され、
こゝに非命に身を終りたると云ふ。
伊蘇普氏の傳則ち前擧《まえあぐ》る處の如し。其詳《つまびら》かなる事は諸書に就て考ふれども證跡たしかならず。
今暫く其大畧を擧げ、此書を讀むものに、其人の尊むべく其道の信ずべき事をいさゝかしらしむるために記すと云爾。
明治五年龍集壬申夏五月
渡 部 温識
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osawa
更新日:
2003/03/16