普通だ。
この時、名を小字(こあざな:幼名)から、諱(いみな:本名)に改め、字(通称)を付けるのがならわしだった。
徳然も一昨年元服して「亮」という諱を貰うまでは、「伯郎(はくろう)」と呼ばれていた。
これは一番上の男の子、ほどの意味である。
わざわざ改名するのには理由があった。
漢人は「言葉」や「名前」には『力』があるとする、いわゆる言魂信仰を持っていたのだ。
『力』は水のように、高い……強い……所から低い……弱い……所へ流れてしまうと思われていた。
己よりも勝っている者に本名を呼ばれるのは構わないが、己よりも弱い者に連呼されては、『力』が逃げてしまう、という訳だ。
そこで、親や兄姉、あるいは身分が特段に高い者を除いて、本当の名前で呼ばぬようにして、普段は仮の名を別に用いる。
これが改名の理屈である。
徳然は目を見開いた。
「だってお前、今年十四になったばかりじゃないか!?」
「俺は、劉家の当主だ」
叔郎は力強く言う。
「例え単家(ぜんか)でも、皇室に連なる名門の当主が、家督を嗣いで十三年にもなるのに、『子供』でいちゃ、まずいよ」
単家とは「勢力のない家」の意だった。
草鞋売りをしてようやく生計を立てている今の劉本家には、確かに勢いなどない。
「……それに遊学に出る前に元服しておいた方が、区切りもいいだろう?」
叔郎が胸を張った。
徳然は、思わず吹き出した。
又従弟の腕白振りは、親しくしている徳然の良く知るところである。
その腕白自身の口から遊学などという言葉が出てくるとは、終ぞ思いの寄らぬ事だった。
だから、つい正直に、彼は言ってしまった。
「へえ、お前にも学問をする気があったとはなぁ」
「笑う事はないだろう」
叔郎は憮然とした声音をあげた。
「一族を集めて盛大な祝いの宴を開くのは無理だけど、せめて徳然兄にだけは祝福してほしいから、ご馳走を作ってくれ、と母者に頼んだのに」
彼はぷいと後ろを向くと、ただ一人、わが家へ向かって歩き始めた。
「……いいさ。徳然兄、もう帰りなよ。遅くなると、あの恐い叔母さんが心配するだろうから」
大きな、だが幼い背中が、すねた口を利く。
徳然は慌てて彼の後を追いかけた。
「悪気はなかったんだ、許してくれよ。伯母さんの料理を、私にも食べさせてくれ!」
泣きついても、叔郎はへそを曲げたまま振り向きもしない。
そこで徳然は、彼の前に回り込んで、声を張り上げた。
「お前の学費も出してくれるよう父に頼んでやるから、機嫌を直してくれ!」
それは唐突な提案だった。
叔郎が大きく見開いた目を徳然の顔に向けると、彼はニッと笑って又従弟の両肩に手を置いた。
「【タク】郡の出で儒学者の廬(ろ)老師が、州都で私塾を開いておられるのを知っているだろう? その塾が門下生を募っていてね。私とお前と二人して、そこに入門しないか?」
又従兄の提案は、単家の倅にとって願ってもない話だった。
が、叔郎は困惑した。
彼は顎を引いてうつ向き、己の大きな耳たぶを右の手指の先で摘んだ。……深く考え込むときに、叔郎の指先は、どういう訳か自然と耳元にゆくのだ。
大きく息を吐いた。
曾祖父の代に分かれた徳然の家は、叔郎の家とは全く家計を別にしている。縁などないと言われてもおかしくない間柄であった。
実際、徳然の母は貧しい「本家」との付き合いを快く思っていない。当主・劉元起(りゅう げんき)の意向がなければ、嗣子の徳然が叔郎と交遊することもなかっただろう。
だが。
いかに元起が好人物でも、自分の子供で