【銭王《ドゥニエ・デ・ロワ》】 − 【1】

 柔らかい腐葉土に、人間を上から押しつけたような形の『穴』が開いている。
 その中に、身体の前半分を地面にめり込ませた人間が、ぴったり填っていた。

―1―

「峠を越えたあたりで、不味い弁当を喰うような案配か」
「あの宿の食事と女将さんが持たせてくださったお弁当の品質が同様ならば、それほど酷いものではないと思うのですが?」
「かわいそうに。お前さんは舌もバカらしい」
「ずいぶんな仰りようですね……。だいたい舌『も』とはどういう意味ですか? 何か別に恐ろしく愚かな部分があるとでも?」
「その恐ろしく愚かな部分に気づかないところが、『も』ってことさ」
 その朝早くに、エル=クレール・ノアールととブライト・ソードマンは、パンパ山を登り始めた。
 山道はほとんどが落葉松の葉に埋もれていた。針葉樹の油っぽい落ち葉は急峻な坂をより滑りやすい物にしている。
 山裾の宿場町から山を迂回して進む新道ではなく、山に分け入って峠を越える旧道を選んだことにさしたる深い理由はなかった。
 強いて云えば、こちらの方が幾分か人通りが少ないであろう――その程度のことだった。
 だが「その程度のこと」が、エル=クレール・ノアールと名乗る若い貴族とっては、ほんの少しばかりの意味のあることだった。
 色素の薄い亜麻屑色《トゥヘッド》の下げ髪がふわりと揺れる。僅かに目尻の下がった眼窩の中には翠の瞳がはめ込まれていた。丸い頬は日に焼けているが、首元あたりの肌は白い。
 その体躯は、男子として見れば「小柄」とまでは云い切れぬが、かと云って「大柄」とは全く云い難かった。手足も首も体の線も全体に細く、華奢な印象を受ける。
 ただし、まとっている古びた上着や膝丈の半袴《オー・ド・ショース》と膝まである長靴に包み隠されているその身が「亡国の皇女」であるという出自を知れば、彼女が決して小柄ではなく、むしろ同年代の娘達と比べればかなりの長身だと云うことが判る。
 身元を隠さねばならない事情を持っている男装した姫は、できうる限り人目を避けたいのだ。
 ブライト・ソードマンと称する巨躯の男にも、彼からすればそこそこ重要な思惑があった。
 針金のごとく硬い髪は無造作に切られており、整えようのない有様だった。その乱髪頭一つ分はエル=クレールよりも背が高い。
 肩幅も胸板も、胴着に詰め物を入れて上げ底した貴族でも及ばなない広さであり厚みである。
 太い脚を包む長袴《ホーズ》と、大きな脚を覆う踝丈の革靴は貧しい人夫の装束だが、それにしてはこの男の体は筋肉質に過ぎる。
 肉の付き方はを見れば、誰でも彼を兵隊崩れか剣客崩れに違いないと言い切るだろう。そして主持ちでないことも断言できる。
 今、エル=クレールという貴族の子弟(を装っている貴族の子女)の傍に立っていることで、ようやく彼は、この上品な若者の護衛として雇ってもらえる程度には氏素性の悪くない人物、といった案配に見えている。さもなくば破落戸《ごろつき》と思われても仕方がない。
 なにしろ顔つきが悪い。目鼻立ちは、どちらかというと整っていいる部類だった。しかし、頭髪の乱れは先に述べたとおりだし、顎は無精ひげにまみれている。口元はにやけた風であり、目つきは逆に鋭すぎる。
 その上、態度が悪い。言葉遣いが悪い。
 主人らしいエル=クレールに対しての口ぶりが、辻立ちの下級娼婦に対するそれとがほとんど同じだった。何気なく尻を触りに行くあたりも区別がない。
 実際のところ、ブライトはエル=クレール、あるいはその親族の類に雇われている訳ではない。
 ただ付いて歩いているだ


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