序章 − 転換 【4】

顔を主税に向けた。
「悪い冗談だ!」
 主税は頭を掻いた。固まりかけたゲル状のカサブタが、ボロボロと落ちた。
「カマシュトリだって? 創造神オメテオトルの長子で、東を司る赤い軍神で、太陽神トナティウや生贄の神シペトテックと同一神で、トラスカラの主神だぞ!」
「チカラ…」
 しがみついていた優が、不安そうな小声を出した。
「呪文みたいで、何言ってンのか解ンない…。とりあえず、シロネンさんはいい人だよ。お水もくれたし」
 優は半分以上水がこぼれてしまっているカップを差し出した。金色の光を鈍く放つ金属性のそれはずっしりと重く、主税の掌になじんだ。
 底に溜まった透き通った水の小さな丸い手鏡は、泥と擦過傷のカサブタに覆われた男の顔を映した。
 赤い髪、光を弾く金属片をあしらった耳飾り。額から鼻に抜ける赤い顔料の筋、両頬に走る三本の赤い線。鋭い眼光。
「!?」
 主税は、やはり泥まみれになっている袖で、目を擦った。
 黒い髪、狭い耳たぶ。埃まみれの鼻筋、両頬にこびりつく腐葉土。戸惑う眼差し。
 顔を上げた。
 シロネンを名乗った少女が、彼の前でひざまずき、ゆっくりと頭をもたげて微笑んでいた。
「カマシュトリ様の持つ『煙を吐く鏡』は、真実を映す鏡。…例えそれがどのような破天荒でも、信じがたい光景でも、否定したい姿でも、あなた様の見たモノは総て真実です」
「待て、待ってくれ!」
 主税は頭を掻いた。固まった軽石のようなカサブタが、ボロボロと落ちた。
「百歩譲って、君の目に僕がカマシュトリ神に見えたとしても、僕は僕自身をカマシュトリ神だとは思えない。だから僕が手にした鏡面に何が映ったとしても、僕には虚像か、幻覚としか思えない」
「…では、鏡を通さずにご覧になった物はいかがですか? 陛下の御目に映った物は『真実』ではありませんか?」
 シロネンがすっと手を持ち上げた。
 細い指先が、主税と優の背後を指し示した。
 振り返る。深い闇がある。
 視線を送る。白い壁が浮かび上がる。
 目を凝らす。黒い固まりがうごめいた。
 人の形をした闇が、いくつもいくつも動いている。
 見たことのある闇。
「あー!!」
 引きつった大声を上げた優の口を、主税はあわてて掌で覆った。
「うーうーううーーー」
「解ってる。さっき、山道で見た奴らだ」
「うー、うぐぅううー」
「だから大きな声を出すな。気付かれたら、また撃たれっ!!」
 言いかけたその時、冷たい光の紐が闇の中から放たれた。
 光が床に当たった。
 まるで火薬が破裂するように床が弾けた。日干し煉瓦のかけらが猛烈な勢いで飛び散った。
 主税は優を抱きかかえ、そのまま背中から倒れ込み、床を転がった。
 乾いた土埃が鼻の穴に飛び込んでくる。
「何なんだ、一体!?」
 咳き込みながら顔を持ち上げた。
 シロネンが緊迫した、しかし微塵も不安を感じさせない真っ直ぐな目で、主税を見ていた。
「判りません。ですが、かつてあなたは彼らを『新しい魔王の僕(しもべ)』と呼び、彼らは自身を『神の子』と称していました」
 パンッ。
 乾いた、耳に突き刺さる音がし、再び床が破裂した。
 2度、3度。続けざまに破壊が起こる。
 炸裂音の合間に、別の耳障りな音が聞こえる。
「ギギ、ギギギ」
「ギィ、ギギ」
「ギギギギ、ギギギギギィ」
 会話をしているかのようなせわしなさで、とぎれなく聞こえるノイズは、次第に確実に、床を転げて逃げる主税と優に近付いてきた。
 が。
 ビシッ。キンッ。バッ。
 唐突に、硬い物がそれほど硬くない物とぶつかり、切り裂かれ、倒れ込む音が


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