ている。彼らの血を受け継いでいるのが明らかなその姫君は……
「クレール?」
そいつが俺の相棒であるのはすぐに判った。だが、俺の知っている彼女よりも幾分幼くも思えた。
俺はまた一瞬にして理解した。
ここは、今から4年ほど昔の世界だ。
ミッド公国は安泰で、大公夫妻は息災。一人娘のクレール姫は剣を取って闘う必要もなく、正体不明の風来坊(つまりこの俺)と田舎のラブホで一つ部屋に寝る事態も想像だにしない、平穏な日々を送っている。
俺のこの不可解な「理解」が正しければ、目の前にいる小さな姫さんは、俺と出会う以前の「クレール姫」で、それはつまり、彼女も俺と会ったことがない、ってことなんだが……。
俺の声に反応して振り向いたクレール姫は、確かに少々吃驚したが、すぐさま相好を崩して、俺の側へ駆け寄った。
「よかった。来てくださるとは思っていませんでしたから」
満面の笑みだった。しかし、瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
泣き笑いする姫さんの顔を見ている内に、俺の口がまた勝手に動いた。
「泣くのはやめなさい。前にも言ったはずだよ。私はご婦人の涙に弱いのだ。泣いてるご婦人を見ると、無条件で手を差し伸べたくなってしまう」
自分の口から出てきた言葉を聞いて、俺は背中がぞわぞわするのを感じた。
普段の俺は、自慢じゃないがこんな丁重で優しげで薄気味悪い没落貴族みたいな口振りで話したりしない。
全く今の俺は、俺の感覚を持った別人に違いない。どうしてこんなことになっているのか、その理由までは解らんが……。
ただ、今ン所はこの状況に流される以外に術がないようだということは、どうやら理解できた。
クレール姫は、大きな緑柱石色の瞳から涙を2粒ほど溢れ出させた。俺の手が勝手に動き、彼女の柔らかな頬を滑り落ちる涙を拭った。
制御できない自分の行動に、俺はびくついていた。なにしろ普段のクレちゃんだったら、こんなこと……ほっぺただの首筋だのうなじだの胸だの腹だの尻だの腿だの爪先だのといった、およそ「女の魅力的な部位」と思われる場所をさわったりさすったりつついたり……をしたら、まず間違いなくグーで頬桁をブン殴りに来る。
(不思議なことだが、剣術の手合わせンときは彼女のサーベルを容易にかわせるってのに、耳先まで真っ赤にして恥ずかしがってるときの「美しい右ストレート」は避けることができない。クレールは間違いなく拳闘士より剣士向きで、当然拳よりも剣先のほうが数段素早いンだが……)
ところが、だ。
今俺の目の前にいるクレール姫は、殴るどころか俺の手を握りしめている。
やがて、俺を真っ直ぐに見上げていた顔を下に向けると、小さな肩を小刻みに震わせ始めた。
「何故泣いているのですか?」
どうにも気色の悪い口調と、こわばった柔和な顔の裏っ側に、寒イボと疑問を隠して、俺が訊くと、小さな姫さんは苦しそうに微笑んで答えた。
「ずっと、あなたが来てくださるのを待っていました」
クレール姫はふわりと倒れ込むように、俺の胸に顔を埋めた。
ひどく軽い身体だった。
まるきり現実感が湧いてこない。
肩を抱いた。
ピリピリとした不安の塊が、掌の中に存在している感じがした。
「いつも一緒にいるではありませんか?」
「……今はいてくださる。でもあの時はいらっしゃらなかった」
「あの時?」
あの時……それが、ミッド公国滅亡の瞬間だってことは、想像に難くない。
確かに、俺はその時コイツの側に居なかった。どだい、その辺の馬の骨の身で、世が世なら女帝陛下のお姫様となど、お目通りすら叶う訳がない