幻惑の【聖杯の三】 − 【12】

いるモノは、人の形をしていなかった。
 幾つももの赤くかすかな光。燃えつきる寸前の揺らめく灯明のように、危うい輝き……それが産声とも断末魔とも付かぬ声で泣いている。
 手を差し伸べると、その泣き声がかすれた大人の声に変じた。
『もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度……』
 幾人もの声が、バラバラに、しかし同じ言葉を繰り返している。
 彼女はその声の主を「哀れだ」と感じた。
 まるで許しを請う罪人の様だと。
 そんないくつもの光が、一斉に彼女が差し伸べた手に近づいた。
 熱はない。逆に冷たさえ感じる。
 冷たい光はエル・クレールの掌をすり抜け、胸元に揺れ浮かび、やがて腹の辺りに集結した。そうして、一塊りになって彼女の胎に入り込んだ。
 彼女はその苦痛に幸福感を覚えた。同時に底知れぬ不安をも感じた。
 動悸がし、全身が重くなった。
「……つまり、お主らは死人と同じ事よ」
 老人の声で、エル・クレールは我に返った。
 目を見開いて驚愕している彼女に、老人はあわてて、
「書類の上では、という意味じゃて」
 と付け足した。
 エル・クレールはうつむいて、弱々しくうなずいた。
 ブライトは不機嫌そうに頭を掻き、シィバ老人は気まずそうに杖を玩び、エル・クレールはつらそうに息をついた。
 誰も、何も言わない。
 しかし、その重い雰囲気はあまり長く続かなかった。
 手袋ホムンクルスもどきが一匹、彼ら専用の小さなドアをくぐって駆け込んできたのだ。
 彼(と呼んで良いのか判らないが)は主の足元で飛び跳ね、親指を大きく振っている。
「客が来たか?」
 老人は面倒臭そうに部屋を出て行ったが、すぐに戻ってきた。
 彼の後ろには、小太りの若い男と、痩せた若い女が立っていた。
 結婚式を訳のわからない化け物に台無しにされた、カリストとハンナである。二人とも、体中に包帯を巻き付けていた。
「父が……その、何というか……。有り体に言えば、呆けてしまいまして。僕が名代で、来ました」
 父親の横暴な口ぶりとは似てもにつかないおっとりと優しい口調で、カリストが切り出した。
「父が、軍の最上層から、どのような役目を、言い渡されていたのか、僕は、よくしりませんでした。正直に言えば、今もさっぱり判りません。おおよそ、優秀で有益な人物を、捜しているのだろう程度のことは、なんとなく判っていましたけれど。でもそれが、どのような『優秀な者』であるかまでは……。今父に訊いても、まるで判らないでしょうから……」
 彼は自分の考えていることを的確に言い表すための言葉を、彼なりに一生懸命選んでいるらしい。
 ただし、その口ぶりは慎重とと言うよりは愚鈍であった。結局何を言いたいのか伝わってこない。
 彼らが来る以前から苛ついていたブライトが、
「それで?」
 と脅しさながらに続きを促す。 
 カリストは元々下がりきっていた眉毛をさらに下げ、元々脂ぎっていた額に脂汗を滲ませた。
「つまり、父の判断は仰げないので、僕の判断で行いたいのです。なぜなら、先ほど僕はこの村を、暫定的に統治する役目を仰せつかったので。ですからこれを、僕の権限で、渡しても良いと思うのです」
 しどろもどろ、おどおど、もたもたと、彼はなにやら袋を取り出した。そしてそれをエル・クレールの目の前に差し出す。
「中に、たくさん、色々な物が入っているのですけれど、どれが何を意味しているのか、僕にはさっぱり判りません。
 でも、双頭の龍が太陽と月を従えている紋章の入ったタリスマンは、皇帝陛下の直属の部下である証だ


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