「いのち、まだたりない。もっと、たくさん、ほしい」
化け物の赤い目が、濁った光を放った。
それは、逃げられぬ人々のまだ暖かみのある肉体を踏みつぶしながら、逃げまどう人々を追い、掴まえ、巨大な口の中に放り込む。
「おまえ、いのち、よこせ。おまえ、いのちいらない」
化け物は収穫物を選別し続けた。食べるに値する物は飲み込み、値しない物は握りつぶす……それを繰り返していた。
やがて化け物は、崩れた建物の影に、命を見つけた。
それは二つ、最初は寄り添っていた。
化け物が、その二つの命を覆い隠していた壁材の残骸を取りのけたとき、その内の一つが飛び出してきた。
いや、正確に言うと、突き飛ばされたのだ……もう一方の命の持ち主に。
その命の持ち主は、丸い体を鞠のように転ばせた。そして鞠のように化け物の脚に当たり、鞠のように跳ね返って、結局元の残骸の辺りで止まった。
脂汗の浮いたバラ色の頬、紫に変色したサクランボの唇、埃を被った金の巻き毛の、ぷっくりと太った若者は全身を震わせた。
おそるおそる顔を上げる。
目の前では土埃で汚れた花嫁衣装を着た田舎娘が、溶けたアイラインで目の回りを真っ黒に染めていた。
白塗りの頬がげっそりと痩けたさまとあいまって、まるきり目玉のはまった髑髏のような面体だった。
「ハンナ、なんて事を」
カリストが力無く言う。ハンナは震えながら、しかし力を振り絞って、再度夫を突き飛ばした。
「うあ!」
その悲鳴を残し、ハンナはその場から逃げ出した。
膨らんだペチコートが脚にまとわりつき、ハイヒールが爪先を締め付ける。
十歩も進めず、彼女は剥がれた床板の間に倒れ込んだ。
鼻孔の奥を震わせる不快な呼吸音がした。
振り返り、仰ぎ見る。
豚の頭と人の手足を持つ小山のような化け物が、礼服を着た小太りの若者の襟首を掴み、立っていた。
ハンナに悲鳴を上げる自由はなかった。
大きく開いた口は、化け物の手でふさがれた。血やリンパ液や消化液や、あるいは種類の知れない液体や半液体、臓物らしい肉片と、髪の毛の生えた皮膚らしい物とにまみれた、巨大な手である。
口をふさぎ、顎を掴んだその手が上へと持ち上げられて行くに連れ、ハンナの体も上へと吊り上げられた。
化け物が大きく口を開ける。大きい肉の穴蔵の底には、潰れたり溶けたり砕けたりした人間の体がいくつも重なっていた。
そしてそれは動いていた。
動いて、手招きをしている。
『おいで、おいで。一つになろう。さあ我々と一緒に手を繋いで……』
耳で聞いているのか、脳に直接響いているのか知れぬ「声」が、化け物に吊り上げられた新婚夫婦を、仲間に引き込もうと呼びかける。
「嫌だ! 嫌だ! 放せ、下ろせ! チクショウ、チクショウ」
カリストは手足を振り回してわめいた。
その足先が、化け物の喉の柔らかいところに当たった。
すると、化け物は
「げぇ」
カエルのように一声上げ、吊り上げていた二人を投げ出した。
カリストはしたたか腰を打った。
ハンナは、どこも打ち付けなかった。
彼女はすっと立ち上がると、悶絶している新郎を指さした。そして再び自分たちを捕らえようとしている化け物に向かって、叫んだ。
「あたしなんかより、このデブを食べなさいよ! この人を丸飲みにすれば、いくら底なしでもお腹が膨れるでしょう?! そしたら満足して、あたしのことは逃がして頂戴!」
が。
大きく裂けた口の向こう側に、わずかに見える化け物の目玉は、むしろ彼女を見ていた。
「おまえ、とがった、いのち。ささりそうな、