レオン・クミン記《二》


 それにしても、私はガイアに対して負い目を感じていた。……体格、体力面でのことだ。
 何とか背丈だけは勝っている。
 とはいえ、私はひょろ長いだけのホワイトアスパラのごとき体躯である。彼女と並び歩くと、他人から蚤の夫婦となどと揶揄された。
 ……この噂が自身の耳に入った時点で、私たちの密やかなつもりであった仲が、公然であることの不自然に気づけばよいものを……。
 さておき。
 文武百官が居並ぶ場では、私の惨めさはことさらに極まる。
 文官の列に私がいるのが「当たり前」であるように、武官の列には「当たり前」のようにガイアがいた。
 一介の公女付き女官が、そのような席に立つことは、過去にないことであるし、おそらく今後もないであろう。
 しかし、ガイア・ファデッドは特別だった。「護姫将軍」という雑号官を新設させるほどの武芸者なのだ。
 特殊な武官として列席する彼女の一つ上座が、近衛隊長のデュカリオン卿である。
 たくましい美丈夫と並ぶ彼女。
 似合いなのだ、二人は。
 私が彼女と並んだとて、あれほどしっくりと「絵」にはなるまい。
 私は嫉妬した。怯えていたと言ってもよいだろう。
 そして情けないことに、いつしか私は、デュカリオン卿を勝手に仮想敵(ライバル)と見るようになっていた。
 卿に負けるまいと、小さな虚勢を張るようになったのだ。
 例えば。
 私はそれ以前、佩剣を正装の一部としか思っていなかった。
 それも、フック一つで結ぶ手間なくつけられる蝶タイと同程度の、である。
 だから私の腰には、レイピアの柄と鞘しか下がっていなかった。
 本身を持つ必然性は、私の中には無かった。わざわざボウタイを美しく結わえる必要がないように。
 その柄に、ある日突然刃を付ける気になった。
 仮想敵に対する備えだ。……腕力を持って争ったとして、私が勝てるはずは万に一つもないと言うことを、重々承知した上での、蟷螂の鎌である。
 クミン家は、伝統ある名家である。父祖より伝来する無銘の名刀が、使われることなく納戸の奥で埃に埋もれていた。
 それを柄にすえ、帯びた。
 黒光りする真鉄が、華奢な私の腰を大地に引き寄せようとする。
 帯剣したまま歩くことができないという事実に、私自身が驚愕した。
 そして。
 ガイアが帯びているのが、レイピアなどよりも数倍重い、ロング・バスタードであることを思うと、彼女への尊敬の念はさらに深まった。
 
 日々は過ぎ、何とか剣を携えたまま歩けるようになった頃、私は毎夜、夢を見るようになった。
 ガイアの髪は漆黒なのだが、陽の光の元では緑に輝く。
 ガイアの瞳は琥珀色なのだが、時として青みがかる。
 風吹く草原のただ中、ガイアの髪は揺れ、ガイアの瞳はきらめく。
 私はそれを眺めている。
 ただそれだけの夢を、毎夜見る。
 そのころから、私の様相は、激変したようだ。
 落ちくぼんでいた黒い瞳に光が射したようだと、幕僚の一人が言った。
 痩けていた頬に赤みが差したと、部下が言った。
 皆、私の心中を察しあぐねている。
 あてがわれた執務室と自宅とを往復するばかりだった日常が、それに何の不服もなかった日々が、酷くつらく感じられた。
 息をするのもつらい。思考するのも苦しい。
 ただ一つの想いだけが、私の心を占拠している。
 この様に苦しい日々は、それまでの人生二十年の内にはなかった。
 あの人のこと以外は考えられない。
 毎夜、夢を見た。
 それが夢であることが悲しかった。
 それを現にしたいと願った。
 決心するのに半年かかったが、たった半日で実行に移した。
 
 まず私は、私はプロポーズの言葉を考えた。
 はじめの内は、浮かび上がってくる言葉が、あまりに陳腐であったので、我が脳漿の不出来に幻滅したものだ。
 しかし、悩む内に良いアイディアが浮かんだ。
 なにも、己の気持ちを言葉で飾り立てずも良いではないか。
 その気持ちそのものを、彼女に伝えれば良いのだ。
 鈴蘭の月、聖・ガイアの日……彼女の誕生日は明日に迫っている。(彼女は誕生日の聖人の名をそのままつけられたのだ)。
 日の明ける前に、普段から誰よりも早く登城するガイアよりも前に、彼女の執務室に入り、彼女を待つ。彼女がドアを開け、彼女の椅子に坐る私を見つけて驚く。そこで、求婚する……祖母の形見である、赤珊瑚の指輪を婚約指輪として差し出しつつ……。
 そんな算段だった。
 
 常夜灯の明かりもかすかな屋形の中を、私はそっと進んだ。胸を張って、堂々と、しかし静かに。
 自分の気持ちの高ぶりを、何とか押さえ込んで、部屋の前に立つ。
 ドアノブを握る。
 押す。
 直後、私の体はガイアの執務室の中に、吸い込まれていた。
 私自身は何の力も使っていない。
 ドアが内側から開いたのだ。
「うわぁ」
 情けない悲鳴を上げたつつ、私は『ガイアが私の想像より早く出仕していた』と思い、倒れ込みながらそこにいるであろう彼女の姿を捜した。
 だから、男物の、品は良いがかなりくたびれたブーツが視野に入ったときは、酷く驚いた。
 それが見慣れた黒革であったから、なおさらだった。
 私が
「陛下!?」
と叫んだ直後、顔面は床に叩き付けられた。
 
 ミッド大公ジオ=エル・ハーン三世“陛下”と、クリームヒルデ妃、そして三名のお針子達が、狭い部屋の中に居た。
 両陛下はもちろん、お針子達も私のよく見知った顔だった。
 国一番の裁縫の匠で、いつもクリームヒルデ妃やクレール姫のドレスを仕立てている者達である。
 皆が「何が起きたのか判らない」という顔をしていた。私も同じだった。
 立ち上がり、両陛下の御顔を見比べ、さらにお針子達の手元を見、
「ガイア・ファテッドへの今年の誕生祝いは、一級品のドレスでございますか?」
 できうる限り平静を装い、落ち着き払ったつもりの声と顔で、私は尋ねた。
 お針子の一人イフィゲニアがスケールを持っており、オレステスがデザイン帳を、エレクトラが布地の見本帳を持っているのを見れば、夕食のメニューを相談しているのではなさそうなことぐらいは判る。
「考え方は、良い。だが、ドレスそのものは、誕生祝いの贈り物ではない」
 ジオ三世陛下が照れ隠しのような咳払いをなされた。するとクリームヒルデ妃が続けて、
「誕生日当日に贈り物のドレスの採寸をするほど、あたくしどもものんびり屋ではありません。今日採寸してドレス本体を縫い上げるのに一ヶ月半ほど、レースや装飾をほどこすのにもう一ヶ月半はかかるのですよ」
「都合三ヶ月、にございますか?」
 私は、向こう三ヶ月の公国の公式行事スケジュールを、頭の中で検索した。
 ガイアがドレスを着なければならない「行事」の予定は、三ヶ月の内には思い当たらなかった。
 確かに、四ヶ月後に両陛下の二十回目の結婚記念日兼ミッド公国建国記念日がある。
 その半月先にはクリームヒルデ妃の、さらに七日間後にはジオ三世陛下のご生誕日、クレール姫のお誕生日はそのさらに一ヶ月ほど先。
 お三方の誕生祝いは、ご成婚記念と併せて、まとめて建国記念日に行うのが通例となっている。(五度のパーティーを一度にすれば、経費を五分の一に押さえられる、とジオ三世陛下が発案なされたのだ)
「どうした? 日頃の切れ者ぶりが、最近は薄らいでおるな」
 陛下が含み笑いをなさった。
 私は首を傾げざるを得なかった。
「その方の、誕生日があるではないか」
 確かにその通りではある。
「その方の父セインが、その日取りを提案したのだぞ」
 唐突に父の名を聞き、私は困惑を深めた。
 陛下は続けて、
「ガイアの父ニクスも、それを承知して……」
 と、言いかけ、あわてて口を塞いだ。
 クリームヒルデ妃が、夫の耳元で
「そのことは、直前まで内緒の約束です」
 とささやくのが、漏れ聞こえた。
 『そのこと』が何を指すのか、瞬時には判りかねた。
 そのとき、お針子のオレステスが、デザイン帳の一葉を開き、こちらに示した。
 描かれていたのは、古風でシックなドレスだった。
 しかし、長く尾を引くようなレースのベールや、裾を飾る刺繍、胸を飾るビーズは、本当にこの絵図通りに仕上がるのなら、このドレスが途轍もなく豪華な物になることを暗示している。
 使われている色は、白ただ一色。
 私が息をのんだと同時に、背後で物音がした。
 振り向くと、ガイアが立っていた。
 足下に、書類が散乱していた。
 
 私とガイアとが知らないところで、ジオ三世陛下を含めた「親の世代」達が、企んでいたのだ。
 ガイア・ファデッドをレオン・クミンの妻に、レオン・クミンをガイア・ファデッドの夫にすることを。
 すべてを国費でまかなう荘厳な結婚式の企画というとんでもない代物を、誕生祝いとして受け取ったガイアは、声もなく立ちつくした。
 そして、すべてを国費でまかなう荘厳な結婚式というとんでもない代物を、誕生祝いとして受け取ることになる私の胸の中に、気を失って倒れ込んだ。
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