レオン・クミン記《三》


 不幸は、唐突で早足だ。
「我が主は、返使者にはクミン卿を是非に、と」
 ユミル女王国からの使者が、こわばった顔に笑顔を浮かべた。
 
 ジオ三世「陛下」の誕生祝いには、ギュネイの全土から祝いの品が届く。
 七の自治州、十二の公国、そしてギュネイ皇帝フェンリル陛下以下諸侯からも。
 我が国からの返礼は、特産の絹織物である。
 実は、情けなくも悲しくも、ミッドには絹縞以外に産物がないのだ。
 山に囲まれた狭い盆地の国である。耕作も牧畜もままならない。
 唯一育つのが桑であり、唯一養えるのが繭蛾なのである。
 それゆえ、養蚕の匠、糸取りの匠、機織りの匠、染色の匠、刺繍の匠、みなが競って技術を高めている。
 こうして、同重量の金と同じ値で売買されるほど高品質な産物となった絹綾であるから、毎年決まって絹一反の進物、であっても、諸侯から殺到するのは、苦情ではなく礼状なのである。
 
 さて。
 ユミル女王国は島国である。
 ガイア大陸より海溝を挟んで東南の地に在する火山性の諸島で、国土は全島合わせて我が国と同じという、小国であった。
 しかし、経済では我が国よりも格段に裕福である。
 その狭い国土に各種鉱石を孕んでいるからだ。
 金、銀、および水銀、あるいは、水晶、翡翠、まれに金剛石をも産する、他に類を見ない土地であった。
 ギュネイ帝室も、そのためこの小国を屈服させかね、一応は「属国」としてはいるものの、内政には全く干渉できないでいる。
 現君主ギネビア女王は、わずか七歳で即位されて以来十余年、良臣に傅(かしず)かれて善政を敷いておられた。
 そのギネビア女王に、なぜか私は好かれているらしい。
 四年ほど前に、女王の父君の葬儀の折、我が国から赴いた弔問使節の一員に、私が含まれていたのが発端だったと思われる。
 そのとき特に何をした、何があった、という記憶は(少なくとも私自身には)ないのだが、どういった訳か、それ以来、
「我が国へ使者をお立ての場合は、必ずクミン卿にしていただきたい」
 ということになっている。
 
 夕刻。
 私とガイアは肩を並べて帰途を進んだ。
 互いに忙しい身である。
 悲しいかな、登城の行き来の道すがらぐらいしか、共に語り合う時間がない。
 しかしこの日、ガイアは不機嫌だった。
 元から多弁ではないが、この日はとくに無口で、笑顔を浮かべることもなかった。
 いや、前日の夕刻から少々口数が少なくはなっていた……ユミル女王国からの使者が、翌朝謁見するというのを知っていたからだ。
 明けて朝から、ガイアは自発的な発言をまるきりしてくれなかった。
 私にとって不満だったのは、クレール姫とは会話をしている、という事実である。
 まぁ、それが彼女の仕事ではあるのだが。
 さておき。
 夕方になると、彼女はいっそう無口になっていた。
 朝は、それでも生返事の受け答えぐらいはしてくれたのだ。
 それが、口を真一文字に結び、まっすぐと前を見(つまり、私に眼差しを注いでくれることが全く無く)、家路を急いでいる。
 道行きは、ほんの小半時。途中で右と左に分かれ進むことになる。
 この沈黙の理由は、良く判っている。
 ユミルの使者だ。ユミル女王ギネビア様が、遠因なのである。
 私が女王に好かれている理由を、ガイアはかねがね不審がっていた。
 私の許嫁に「嫉妬心」などという俗な感情があるとは信じがたいが、女王が評判の美女であり、また、評判通りの美女であることを鑑みれば、不安になるのも致し方があるまい。
 ありきたりの娘連であるなら、金切り声をあげて泣き叫ぶのだろう。
 そうなると、男の方は責が無くとも取りあえず謝って、アクセサリーの一つも送って機嫌をとるらしい。
 それで済むなら、その方が楽と言うものだ。
 ガイアと私の間に限って言うと、そういう解決法は成立しない。
「不可解」
 ガイアが、ぴたりと足を止め、一言漏らした。
 四つ辻が、遠く見える。
 まっすぐ進むと国境の関。
 右に折れると、ハーン帝国来の旧臣達の住まう地区に行く。私の荒屋はそちらにある。
 左の方には、ミッドに古くから住まう豪族達の屋敷が点在している郡がある。ガイアの生家は、その中でも有数の名家だ。
「何が、ですか?」
 私も、公道の真ん中で立ち止まり、訊いた。
 道の脇に、大きな石がある。ガイアが、視線を持って私をそちらに促した。
 ディベートが開始される。
 私たちの間でなにか不振ごとがあったときの、唯一の解決法が、これなのだ。
 納得できないことは納得するまで追求する、非常にやっかいな性質を、私もそしてガイアも備えている。
 これが、他人の目には奇妙に映るという。
 普段から、「互いの意見を交換し、検証し、熟考しながら検討し、発表交換し、検証し……を、解決を見るまで繰り返す」会話を、当たり前にしている私たちとしてみると、欲とごまかしで成立するプレゼントなどで問題を解決する方が、疑問なのだが。
 驚くべきことに、私たちのディベート、そして日常会話までもが、私たち以外の者には口論に見えるというのだ。
 デュカリオン卿に至っては、
「毎日ケンカをしているようだが、大丈夫か?」
 と案じてくれるほどだ。
 どうも私たちは常識から逸脱しているらしい。ただ論理的であるだけなのだが……。
 兎も角、今ガイアが一番納得できないことは、くだんのギネビア女王のことであろうから、それについて、解決に至る理由と意見と検証を求めているに違いない。
 しかし、私自身にも理由が判らないことであるから、判らないと説明するより他にないのだ。当然、それで理解が得られるとは思っていない。
 私は、今まで幾度かユミルに行き来した折りの出来事を、できるだけ細かく思い出そうとした。
 確かにそれは、彼女の「不可解」に関係のある考察ではあった。
 だが、的確ではなかったようだ。
 ガイアの問いは、この様に続いた。
「……ギネビア女王はかつて、陛下の誕生祝いに、わざわざ返礼を求められたことがあっただろうか?」
 私は、脳漿内で行っていた記憶の検索の方向を、瞬時に、そしてわずかに、変更した。
 ユミル女王国と、我がミッド公国との交流は、十五年に及ぶ。すなわち、ジオ三世陛下がこの地に封じられて以来の友好国だ。
 もとより、火山国ということ、また「孤島」と「陸の孤島」であることの点で互いに共感し、第一次産業を発展させられないという切実な共通問題もあって、二国は友情にも似た国家関係を結んでいた。
 その長き年月の中で、王国側から何かを求められ、あまつさえそれをミッド側の者の手で、運んだことがあったろうか?
「そのようなことが、あった例がありません」
 私は、瞑目したまま、きっぱりと言った。
「こちらから礼の品を差し出しても、三度は断るほど奥ゆかしい国柄。あちらから何か請求されたことがあると言えば……大公妃殿下のネックレスの代金ぐらいです」
「ではなぜこの度は、わざわざ『返礼の使者』の指名をしたか? ……不可解ではありませぬか?」
 彼女の問いに、私はすぐには答えなかった。
 どれくらい黙っていたのか、客観視できないため判らない。
 私はほんの一瞬息を呑んだ程度だと思っていたが、後々ガイアから「息が詰まって気を失ったのではないか、と気を揉んだ」と聞かされたから、実際は相当長く沈黙していたらしい。
 私はあらゆる可能性を考慮した後、
「……『返礼を持って使者が来る』ではなく『返礼を口実に使者がやって来る』ことが必要な事態が起きた……と、考えてみましょうか」
 という提起をしてみた。
「返礼を持ってくる使者として不自然でない人間、かつ、問題を解決……ないし有効な助言の提起が……できる人材、か。……レオン・クミン卿しか考えられない」
 ガイアは、誇らしげな、しかしすばらしく寂しそうな、そして拗ねて怒ったような顔で答えた。
 
 ユミル女王国に行くためには、陸行すること四十五日、水行すること三日を要する。
 つまり、往復するだけでゆうに二ヶ月かかることになる。
 しかも、幾日滞在すればよいのか、今のところ見当が付かないのだ。
 私とガイアとの結婚式は、残念ながら延期せざるを得ない状況となった。
 私たちは諦めることが……表面的には……容易にできた。
 親たち、そして大公「陛下」および妃殿下の説得も、国の大事という言葉で押し切った。
 残る難点は、2つである。
 臣民の中には、私たちの結婚式から建国記念日までのおおよそ一月、さらにはクレール姫の御誕生日まで含めた4ヶ月間そのものを、長い長い祭りとして楽しむつもりでいる者達が多くいた。
 そういった人々にとっては、前夜祭に等しい私たちの結婚式が順延されるのが、ひどく残念だったようだ。
 私の家にも、ガイアの屋敷にも、そしてあろう事か大公宮にまでも、幾人かの者達が詰めかけて、家人たちを困惑させた。
 大公宮の門兵が、彼らを帰宅させるための「丁重な言い訳の仕方」を考えて欲しい、と切羽詰まった顔で訊くので、仕方なく
「前夜祭が後夜祭に変更されただけだ」
 と言うように指示をした。
 それが功を奏したのか、臣民達の間の騒ぎは次第に収まっていったのだが……。
「敵前逃亡ではありませんか!」
 クレール姫がガイアを捕まえてそう仰ったのは、私がユミル女王へ出立する前日の午後、恒例のお茶の時間のことであった。
 この場合、敵はガイア(あるいは結婚式)で、逃亡したのが私、ということだろう。
「恋人や妻より仕事を優先させるような男と、ガイアは結婚すべきではありません。ガイアの夫たるべきは、ガイアが多忙なのを助け、ガイアを慈しみ、包み込むように愛する人。常にガイアの傍らにいて、ガイアの支えになってくれる殿方でないといけないのです」
 私は、中庭に面する通路の柱の陰で、私は苦笑いしていた。
 姫の言葉の中の「ガイア」はすべて「クレール」に置き換えねばならない。すなわち、そのような男性を、姫はお好みであられるのだ。

 男児を欲しておられた大公殿下の意向で、男の子がするような厳しさで剣術や学問を学ばれた姫若様が男性に求める「理想」は、すこぶる高い。
 姫様は続けて、

「私がガイアのヴェールを持つことになっていたのに。ブーケだって、私が貰うことになっているというのに!」
 いかにも少女らしいお言葉だった。これもまた、ご本心であられよう。
 拗ねて、愛らしい下唇を突き出した姫に、ガイアは
「ノルナ姉妹の工房へご同行願えませぬか?」
 と、促した。
 ノルナ姉妹……つまりお針子のイフィゲニア、オレステス、エレクトラ……の縫製工房は大公宮後門の外側にある。
 公室のお召し物を一手に引き受ける名工とはいえ、公人の仕事は実は少ない。
 もとより奢侈(ぜいたく)を嫌われるお家柄ゆえ、のことだ。
 大公「陛下」などはこの五年間靴下すら新調なさらないし、妃殿下も年に一着ドレスを作れば良い方だ。
 さすがに育ち盛りのクレール姫は、年に二着ほど新しい服を作られるが、それにしても、材料は父陛下と母殿下のお下がりをリサイクルした物、でまかなわれている。
 国一番の匠達は、そういった訳で「本来の仕事をしているだけ」では、そのすばらしい腕前を無駄に休ませ続けることになる。
 俸禄は他の女官達同様に十分なものを与えられているから、年三着ドレスを仕立てるだけでも、楽な暮らしができる。が……。
 彼女たちは酒精中毒(アルコーホリック)ならぬ仕事中毒(ワーカーホリック)で、とにかく何か仕事をしていないと落ち着かないという性分だった。
 大臣達の朝服から、料理人のエプロンまで、宮中で使用するありとあらゆる布と糸との創造物を、新調しなければならない都合が生じたら、すぐに彼女たちが動き出す。
 さすがに陛下が「メイドの仕事を奪ってはならない」と命ぜられて以降は、シーツの繕いに手を出すことはなくなった。
 しかし、主家が贅沢嫌いであるから、家人も自然節約を好むようになっており、メイドの仕事が増えることはあっても、仕立屋の仕事は減る一方である。
 そのためノルナ姉妹達は、それまで大公宮の中にあった自身らの作業所を、垣根の外側に移した。
 そこで臣民の、特に女房連に、仕立や刺繍、レース編みなどを無料で教授しているのだ。
 彼女たちの暇つぶし(こう表現すると、ノルナ姉妹は非常に怒る)は、名産の絹縞をより良質にすることに、役立っている。
 
 クレール姫はノルナ姉妹の様子を、工房の窓からちらと覗くと、驚いてガイアの顔を顧みられた。
「私は並の体つきではありませぬ。ふつうの型紙をふつうに手直しするだけでは、デザイン帳通りのドレスは作れぬのです。そうなると、裁断も縫製も、ふつう通りには行きません。刺繍やレースの図案も当然工夫しないといけない」
 ガイアは静かに言った。
「つまり、ふつうならば三ヶ月あれば充分仕立てられる衣装も、要らぬ手間が増し、四ヶ月以上かけねば完成させられないのです。……それを彼女らは、無理を押して三ヶ月で作り上げようとしています」
 工房の中では、三姉妹が、文字通り髪を振り乱して働いていた。
 それほど広くない部屋の中に、ボディとかマネキンとか言うらしい首のない大きな人形が幾体も並んでいる。
 そのうち何体かは裸で、何体かには型紙を張り合わせたものが着せられ、何体かは仮縫いのまま作業を止められた物を着、何体かは「失敗作」を着ていた。
 
 何日か前(ギネビア女王の使者が来る以前)、私とガイアが覗いたときと比べて、仮縫いを着た人形の数が一体少なく、失敗作を着た物が一体多い。ただ、錯乱した状況はその時と今とで大差がなかった。
「ああ、良く来てくださいました。ファデッド様、もう一度、胸回りの採寸をさせてくださいませ。それからクミン様、肩幅を確認させていただきます」
 イフィゲニアが言い終わるのと同時に、オレステスがガイアに、エレクトラが私にメジャーを巻き付けた。
「衣装が完成したと聞いて、見に来ました」
 私が言うと、
「誰が、そのような無責任なことをお耳に入れたのです?」
 イフィゲニアは目を丸くして、それでもヴェールの一部になるのであろうレースを編んでいる手を休めずに、尋ね返した。
「少なくとも、私の目には、完成品が並んでいるように見えるが」
 小さなため息の後、ガイアが言う。
 私の目にもそう映っていた。
「ファデッド様の体型を美しく演出するラインが、どうしても作れないのです。なにぶん、ファデッド様のお体と言ったら……」
 言いかけるエレクトラの口を、オレステスが押さえ込んだ。
「構わぬ。私は、己が女離れしていることを、ちゃんとわきまえている」
 剣術の匠であるガイアは、確かに一般的な女性の理想とする体型とは、全く異なる体躯を有している。
 背は高いし、肩幅は私より広く、腕も足も筋肉によって太い。腰は確かに細いが、それはコルセットで締め付けた不自然な曲線とは違い、無駄な肉の削げた自然な線を描いている。
「その演出という言葉に、矯正という意味が含まれているとしたら、私はあなた方の方針に、反意を申し上げるしかありません」
 私の言葉に、イフィゲニアはようやく手を止めた。
「ビスチェで持ち上げたあふれそうな胸元や、コルセットで締め上げた細い腰、ペチコートで水増ししたふくよかな臀部は、私のガイアの魅力とは反するものです」
 私は言った後、そっとガイアの顔を見た。本音ではあるが、失言でもあった。
 彼女が女性として失格であると宣言したのと同じではないか。
 ガイアは瞬間困惑顔をした。だが、
「パットで広げた肩や、入れ子でふくらませた腹回り、タックで広げた腿は、私のレオンの魅力とは反するものであるから」
 と、笑った。
 
 その時、私達はノルナ姉妹にふつうの礼服を作ってくれるように頼み(ガイアは「私もそれと同じもので構わない」などということまで言いもした)、工房を後にした。
 しかし今、失敗作を着た人形が増えているところからすると、彼女たちはどうしても「美しいドレス」を作りたいようだ。
 勢い「結婚式」は、本人達より周りの者達の方が張り切るもの……らしい。
 ところが、期限は近づく。国一番の職人の名誉ゆえ、妥協する事はできない。
 姉妹達は寝食を忘れて、作業に没頭していた。
「休むようにご命令いただけませんか? 熱心が過ぎて、私やクミン卿の声は届かないようなのです」
 そう懇願するガイアの顔と、隈と疲労に覆われたノルナ姉妹の顔とを見比べ、姫は小さく頷かれた。
 
 翌朝、早く。
 私は一疋(二反)の白絹と三人の従者を携え、出立した。
 東の国境まで並足で小一時間。傍らに、ガイアがいた。
 街道は、落葉松の並木である。
 木漏れ日が虹のように降り注いでいる。
 私たちは、特に会話することなく、視線を交わすこともなく、ただまっすぐ馬首を並べ、ただまっすぐ道を進んだ。
 やがて、申し訳程度に道を塞ぐ簡単な木の柵と、粗末な番小屋が見えた。
 形式として、大公「陛下」の勅命書を読み上げると、番兵が最敬礼の後、木戸を開けた。
 ゆっくりと木戸を抜け、振り返ると、柵の内側でガイアがようやっと口を開いた。
「安心しました」
 彼女は私の顔をじっと見つめて言った。
「安心ですか?」
「あなたの背中が、力強いので」
 とたん、私は背に何か負ったような気になった。ガイアが私に寄せる信頼は、大きく、また重かった。
 厚い唇が弓のようにしなった。彼女の笑顔は、いつも力強い。
 
 と。
 柔らかい陽光を浴びるガイアの体に、赤いもやのようなものが被さるのが見えた。
 もやは蛇のようにうねると、彼女の右腕にまとわり付いた。
 私は瞬きをした。
 わずかな暗転の後、目を開けたときには、もやは消えていた。
 いや、最初からそんな物はなかったのだ。木漏れ日の光加減だったのだろう。
「では、行って参ります」
 私が言うと、ガイアは無言のまま、左手を挙げて応じた。
 赤い石のはまった指輪が、光をはじいて輝いた。
 
 天空は、どうやら強い東風らしい。良く晴れた青い空を、いくつもの雲が流れている。
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