「ここを戻ってゆけば、間違いなくエントランスホールには着く。でも……」
スパへの入り口の反対側に、大きな窓があった。外には中庭の芝生が見える。
「庭を抜ければ近道、だよな。でも……」
今日は近道を選んだがために散々な失敗を重ねている。
「二度あることは三度……、いや、三度目の正直とともいうぞ」
ピエトロは窓を開け放つと、窓枠を飛び越えて庭へ飛び出した。
「窓から出入りするなんて、あんまり上品じゃないから、誰かに見られたら大変だ」
庭は驚くほど静かだった。しかし、先ほどはあれだけの数の兵士がいたのに、今は人影一つないと言うことを、ピエトロは不審に思わなかった。
むしろその下品ともいえる行動を誰からも見咎められなかったことに安堵している。
「ここからならすぐにエントランスホールに戻れるぞ。いや、かえって早すぎる位かも知れないな」
……それならばあわてる必要はないだろう……ピエトロは楽観して、まるきり庭の散策でもしているかのような歩調で歩いた。
美しい花木が風に揺れていた。こんな静かな庭園を、美しい女性と二人きりで歩けたなら、どんなに楽しいことだろうか。ピエトロは思わず伸びをし、大きく息を吸った。
彼の鼻腔を、強い硫黄のにおいが通り抜けた。
たまらず咳き込む彼の目に、庭の隅から上がっている猛烈な湯気の柱が飛び込んできた。
立ち上る湯気の周囲を急作りな柵が取り巻いている。塗装が乾ききっていない柵は、高さが不揃いな板を曲がった釘で止めたお粗末なもので、素人拵えであることが素人目にも知れた。
「あんなところから湯気が出ているなんて、一体どうしたことだろう?」
ピエトロは熱気を帯びた空気をかき分けて、柵の内側をのぞき込んだ。
地面は芝を剥いで掘らている。その溝の中に、太い陶のパイプが通っていた。湯気は、そのパイプの継ぎ目から漏れ、コウコウとかすれた音を立てて吹き出している。
「なるほど、源泉から湯を引いているパイプに、何か不具合があったのだな。そう言えばさっきの衛兵が、 職人を呼ぶとか、できるだけ自分たちでやるとか言っていたっけ」
剣術の巧みたちが不慣れな大工仕事をしたのだ。相当手を焼いたのだろう。ご苦労なことだ……と、ピエトロが頭を持ち上げたその時だった。
かさりと音がし、何かが動いた。
右の目の見えるぎりぎりのところだったが、それは確かに人影に見えた。複数いたようにも、一人だったようにも思える。
「グランドスパの方だ」
思わず、駆けだした。
窓辺の生け垣が不自然にへこんでいるような気がする。ピエトロは茂みをかき分けて中をのぞき込んだ。
大きな白い窓枠に、厚手のカーテンが掛けられていた。窓は閉まっていたが、カーテンは開いていて、室内の様子が見える。
鉛ガラスのわずかにゆがんだ向こう側で、小さな人影が動いた。
亜麻色の髪、細い手足、白い肌。
『パトリシア姫!』
ピエトロはあわてて頭を引っ込めた。
これから湯殿に向かおうと言うところだったのだろう。パトリシアは一糸もまとわぬ姿であった。
彼女がピエトロに背を向けて、スパ付きのメイドと話し込んでいたのは、ピエトロにとって幸運だったといって良い。
彼は大急ぎで茂みを抜け出した。
『なんてことだろう。悪意はなかったとは言うものの、ご婦人のご更衣をのぞいてしまった。見つかっていたら一大事だ』
ピエトロは胸をなで下ろし、その場に座り込もうとした……のだが。
「君、ちょっと良いだろうか?」
突然、背後から声をかけられた。
治まりかけていた動悸は前以上に激しくなり、心臓が破