黒鯨(こくげい)


 窓の硝子を、黒い雨が敲いている。

 一枚の写真がある。
 世界初の飛空艇「カイトス」。その処女航海。
 艦長は予定の就航路を外れ、小さな浜辺に接岸した。…古い友に会うために、新しい家族を連れて。
 巨鯨は満面に笑みを湛えていた。自慢げに胸を張り、背中から黒い潮を垂れ流している。

 それと同じ色の雲が、今、窓の外に広がっている。重たい黒い雨が、そこからあふれてくる。

「素晴らしいと思ったよ、あの時はね」
 アースお祖父様が力無く笑う。
「実際、あんな素敵な乗り物は無かった。ゆったりと、ふんわりと、澄んだ『空の海』を進んで行く…」
 アースお祖父様は、ガリガリに痩せている。
 ちょっと前…病気になって、一日中ベッドの上に居なければならないようになってしまう前…までは、写真の中のテラ曾々お祖父様とそっくりの、ふんわりと優しい姿をしていたのに。
「でもね。みんなが『空の海』をみたいと思ったものだから、あの船は、たくさんの黒い潮を吐かなきゃならなくなった。それでも足りなくて、もっとたくさんの船を造って、ずっとたくさんの黒い潮が吹き上げられて…」
 アースお祖父様は、黒い咳を一つ吐き出した。

 窓の硝子を、黒い雨が敲いている。
 もう『空の海』は、何処にもない。
おわり

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