UPDATE:2017/09/26(Tue) 15:44 |
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● | 嘘女房 Up! |
| 第一次上田合戦の後、徳川の家臣となった真田の嫡男・信幸は、幼年から連れ添った本妻を側室に落とし、本多忠勝の娘と縁組むことになった。 新妻と古女房は、亭主の心配をよそに合うなり仲良くなってしまう。 そして時は流れて―― ――お前達は嘘吐きだ。
400字詰め原稿用紙24枚分の短編。
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● | みまちがい Up! |
| 第一次上田合戦の後、徳川の家臣となった真田の嫡男・信幸。 駿府の城内で彼を呼び止めたのは、かつて戦場で見かけた男だった。
――兄上は今日も胃が痛い。
400字詰め原稿用紙17枚分の短編。
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● | 真田源三郎の休日(改3)
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| これは、真田信幸による「慌ただしき十六歳の夏」の回述である――。
投稿サイト「カクヨム」に再掲載の「改訂三版」。 大筋はサイト掲載版と同一ですが、端々に手を加えています。
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● | 子壇嶺城戦記 |
| 天正十三年(1585)、信濃の国上田の地侍杉原四郎兵衛は、徳川家康が攻め込むと聞きくや、上田城主・真田昌幸に反旗を翻して子壇嶺(こまゆみ)の古城に立てこもった。――。
投稿サイト「アルファポリス」に再掲載の「改訂版」。 大筋はサイト掲載版と同一です。
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● | 小懸 ―真田源三郎の休日― |
| 武田家が滅んで、遺臣達が身の置き所を捜している中、真田家は織田に従属する道を選び、関東守護となった滝川一益の配下となった――。
投稿サイト「アルファポリス」に再掲載の「改訂第二版」。 大筋はサイト掲載版と同一ですが、端々に手を加えています。
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● | 小懸 ―真田源三郎の休日―
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| 武田家が滅んで、遺臣達が身の置き所を捜している中、真田家は織田に従属する道を選び、関東守護となった滝川一益の配下となった。 一益主催の茶会に招かれた真田家当主・昌幸とその嫡男・源三郎信幸は、その席での振る舞いから滝川家の面々に気に入られる。 特に源三郎を気に入ったのが、前田宗兵衛利貞、通称・慶次郎であった。 昌幸は織田家従属の証人(人質)として次男・源二郎を木曽へ送り、末娘・照を厩橋の一益の元へ置く。そして自身は旧領の砥石城へ、源三郎は信濃と上野の国境にある岩櫃城へと入る。 昌幸は砥石城に座したまま、ノノウ(歩き巫女)の情報網を使って世の趨勢を探っていた。 天正十年の夏。 照姫と一益の嫡孫・一積との縁談が持ち上がったり、源三郎が慶次郎に厩での酒宴に招かれたりと、平穏な時が流れていた。 しかし、本能寺の変の発生で、事態は急変したのだった。
これは、真田信幸による「慌ただしき十六歳の夏」の回述である。 2012年10月21日、完結。 400字詰め原稿用紙換算360枚。長編。 |
● | 岩長姫 退魔記
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| 「たろうさま」の頂上には龍神を祀った神社の本殿がある。 願えば何でもかなえてくれるという噂だが、そこへ行く道らしい道は無い。 我欲が強い物は龍神にたたられるのだと言うから奥へ入ろうという者はほとんどいない。 その日。珍しく、身なりの少しばかりいい武士の子が二人、下社より奥へ入っていった……。 和風(魔物退治物)ファンタジー。 一応、舞台設定が戦国・織豊時代(安土桃山)あたりと言うことで。 400字詰め原稿用紙換算43枚。短・中編。
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● | 【真武外伝】逢坂前夜
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| 歴史if。 大阪の陣直前、信之・信繁(幸村)兄弟の会話。 400字詰め原稿用紙換算1.1枚、総文字数339字。掌編。
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● | 【真武外伝】真田大石
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| 元和八年(1622年)上田。 戦国乱世は過ぎた。 徳川の代に、鬼門「上田城」は取り壊されたが、真田信之に再建の許可は下りた。 だが、突然の封地変えで、その城を後にせねばならなくなった。 父の形見、己の故郷。 信之は城からある物を運び出し、新しい領地に運ぶことにした。 上田に伝わる「伝説」、真田大石の物語。 400字詰め原稿用紙換算10枚。短編。
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● | 【真武外伝】江風
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| 寛永六年(1629)松代。 川中島で野点を楽しむ老君主。 川の上流は、故郷上田……。 400字詰め原稿用紙換算4枚。掌編。
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● | 【真武外伝】子壇嶺城戦記
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| 信濃の国上田の地侍杉原四郎兵衛は、徳川家康が攻め込むと聞きくや、上田城主・真田昌幸に反旗を翻して子壇嶺(こまゆみ)の古城に立てこもった。 彼らの始末を命じられた真田信之は、弟信繁とわずかな歩兵を引き連れて古城に向かった。 戦国末期、ほんの数日間の「反乱」の顛末。 天正十三年(1585)、第一次上田合戦(神川合戦)が舞台。 400字詰め原稿用紙換算17枚。短編。
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