■ 松代城址・太鼓門と前橋[別窓]
|
登録: 2010/09/17(Fri) 20:25 更新: 2011/12/01(Thu) 15:16
[お気に入り削除]
[リンク切れ連絡]
|
|
2004年(平成16年)に復元された太鼓門と前橋。 |
1560年(永禄3年)頃築城。当時の名前は海津城(かいづじょう)ないし貝津城。 森忠政が城主になったとき「待城」に改名。 松平忠輝が城主になると「松城」に改名。 真田信之が入城して「松代城」に改名して、現在にいたる。 明治の廃城後は建物が打ち壊されたため、城としての景観を失い、わずかに石垣が残るのみであった。 1981年(昭和56年)、現存する城郭建築である新御殿(真田邸)とともに国の史跡に指定される。 1995年(平成7年)から長野市による環境整備工事が行われ、発掘・文献調査開始。 2004年(平成16年) 太鼓門、堀、石垣、土塁などが復元された。 |
|
■ 銀杏の木の下の胸像[別窓]
|
登録: 2014/01/18(Sat) 18:50 更新: 2014/01/18(Sat) 18:50
[お気に入り削除]
[リンク切れ連絡]
|
|
三吉米熊氏の銅像。 |
三吉米熊(みよし-よねくま)万延元年(1860)6月10日−昭和2年(1927)8月31日 長門国府中藩(現在の山口県下関市長府)出身。明治-昭和時代前期の教育者、養蚕学者。 明治22年渡欧。イタリア、フランスで蚕業事情を視察。同25年小県蚕業学校(現上田東高)初代校長。 同41年の上田蚕糸専門学校(現信州大繊維学部)設立につくした。
|
|