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姉川合戦 | 41,964 |
じつは歴史通で知られた池島信平の手によるのだ(あるいは共同執筆だ)というサイトが散見できるのだが、 そのソースとなるべきサイトor書籍が見つからない。 (ウィキペディアのゴーストライターの項に、池島信平が「菊池寛の代作をしたことがある」と書かれているが、どの作品を代作したのかまでは記載無し) 何方かご教授を。 菊池 寛(きくち かん、1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日) 小説家、劇作家、ジャーナリスト。文芸春秋社の創設者。芥川賞、直木賞の設立者。 筆名は「きくちかん」と読むが、本名は文字を同じくして「きくちひろし」とよむ。 香川県高松市に生まれる。 1923年1月、私費で雑誌『文藝春秋』を創刊。成功し、富を得る。 この財を使い、若手作家に資金的な援助を行い、育てた。 太平洋戦争中に「文芸銃後運動」を発案し、公事結社・大政翼賛会の翼賛運動の一翼を担っていたため、戦後、「戦争協力」者として公職追放の憂き目に遭う。 昭和23年(1948年)、狭心症により死去。享年59歳。 代表作は「父帰る」、「無名作家の日記」、「忠直卿行状記」、「恩讐の彼方に」、「真珠夫人」など。 池島信平(いけじま しんぺい、1909年12月22日 - 1973年2月13日) 文藝春秋第3代社長。 1946年、文藝春秋社創設者である菊池寛が公職追放処分となったため、菊池の意向から社を解散。 池島はこのとき菊池から社名と誌名を貰い受け、11名の有志社員で株式会社文藝春秋新社を創立。 専務だった佐々木茂索が社長に就任。 1966年3月、社名を株式会社文藝春秋に改名。同年、第3代社長に就任。 在任中の1973年に急逝。 |
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