徒然草 第五十八段
人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから正直の人、などかなからん。己すなほならねど、人の賢を見て羨むは尋常なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽り飾りて名を立てんとす」と謗る。己が心に違へるによりて、この嘲りをなすにて知りぬ、この人は下愚の性移るべからず、偽りて小利をも辞すべからず、仮にも賢を学ぶべからず。
狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。
超訳
人の心なんてモノはフクザツだから、間違いや嘘がないたぁ言い切れねぇ。
……まあ、たまーにぁ本当に真っ正直なのもいるがね。
ともかく、人間はたいてい素直じゃないわけで、「良い奴」を見りゃぁ、羨ましく思って当然だわな。
ところがどうしようもない莫迦は、偶然「良い奴」を見たりすると、そいつを恨んだりする。
そういう莫迦に限って、
「あいつがちょっとした利益を受け取らないようにしてるのは、それ以上にでっかい利益をふんだくろうと考えているからにちがいない。偽善者だ、売名行為だ!」
てなネガティブキャンペーンを張りやがる。
相手の考え方がてめぇの浅知恵と違ってるもんだからこういう莫迦をやらかすわけだ。
莫迦は死んでも治らねぇな。こういう奴は、他人様騙して小銭をちょろまかす悪知恵ばかりに夢中になって、ホントの智恵を学ぼうとしない。
「狂人の真似だ」なんてふかして走り回る奴はつまるところ狂人だ。
「悪人の真似だ」とぬかして人を殺す奴は本物の悪人だ。
一日に千里を駆ける名馬「驥」を真似る馬は、同様の駿馬だ。
古代の名君「舜」を真似るヤツは、舜の仲間だ。
嘘でも偽善でも、あるいは嫌々であっても、「良い奴」の真似をするヤツは、「良い奴」なんだよ。
※注
神光寺的兼好法師には、
遊び人から僧侶にクラスチェンジしたような、
達観したエロオヤジ という捏造設定があります。
(本当は神職の家系出身の宮仕えで、
エリートコース驀進中の30代で突然出家したんだそうですが)
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卜部兼良卜部兼良、再び。卜部兼良、三度び文中の「狂人」をどう訳すのか、悩み所。
「アホの真似してケツだして走るヤツはマジモンのアホ」にしようかと思ったけど、なんか違う気がしたので、ここんとこだけ割と直訳で。
そもそも吉田兼好が生きた時代の「狂人」に対する感覚と、現在の精神疾患とか発達障害・知的障害に感覚は違うから……。