一人の男がいた。
掃除夫として黙々と働いていた。
彼は、仕事場と自宅アパートを往復する日々を送っていた。
神に忠実で、安息日には礼拝を欠かさなかった。
誰もが彼を、真面目だが人付き合いの下手な、偏屈な老人だと思っていた。
男は天涯孤独だった。
……この世界では。
一人の男がいた。
ジャーナリストとして戦場での出来事を書き留めていた。
彼は、地獄とも呼べる戦場を駆け回る日々を送っていた。
神に忠実で、か弱く、そして力強い子供たちを見守り続けた。
誰もが彼を、勇敢なジャーナリストで、正義の諜報員だと思っていた。
彼は多くの仲間に囲まれていた。
……その世界では。
ヘンリー・ダーガー。
1892年4月12日 - 1973年4月13日
職業:病院の雑用夫。
小説家 挿絵画家
小説家としての代表作:
『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子ども奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』
挿絵画家としての代表作:
『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子ども奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』
1892年4月12日 米国シカゴに生まれる。
1896年 妹誕生。母産褥死。(妹はすぐに養女に出され、生涯生き別れとなる)
1900年 父死亡 カトリック系少年施設に入所。後に知的障害児施設へ移る。
1908年頃 施設から脱走。
1909年 病院で掃除夫・皿洗いとして働き始める。
1911年頃 代表作『非現実の王国』の執筆を開始。
1939年頃 続編『シカゴにおけるさらなる冒険』の執筆を開始。
1963年頃 足が不自由となったため、病院の雑用夫の仕事を辞める。
1973年4月13日 死去。享年81。
彼が書き、描いた異世界の七姉妹戦士「ヴィヴィアンガールズ」は、彼の心の中でのみの存在だった。
彼は、それを自分の「外」に出すことを拒んでいたようですらある。
雑誌広告やチラシ、アメコミなどからのトレス・、コラージュにより描かれた美少女たち。
柔らかい色彩で描かれた彼女らの活躍は、一見すると牧歌的で愛らしいものだった。
大人は悪。子供は善。
子供たちは苦難を乗り越え苦闘の末、大人たちを倒す。
しかし彼は、その世界の現実を「ジャーナリスト」らしく正確に描写する。
子供たちが悪い大人に捕まり、残酷に処刑されるシーンも、隠すことも余すこともなく描かれている。
彼の作品には、彼が幼年期を過ごした19世紀〜20世紀前半頃の「児童施設」の中の現実と、彼自身の実体験が大きく影を落としている。
彼は「悪い大人」の世界と戦い、その手を逃れ、彼の王国を打ち立てたのだ。
誰からも邪魔されることなく築き上げた、彼だけの王国。
老衰と病のため、彼は入院することとなった。
作り上げた異世界王国が封印されていたアパートから引き離された彼は、急速に病み衰える。
彼のアパートの大家ネイサン&キヨコ・ラーナーが
家財道具の整理のために彼の部屋に立ち入ったことにより、彼の代表作は発見される。
自身が芸術家(写真家・工業デザイナー)であったネイサンは、普通であればゴミと見なされ廃棄される運命だった
雑然と積み上げられた古電話帳・汚れた紙切れの束・自家製本された数冊の本を、老人が一生をかけた「アート」であると見抜いた。
ネイサンは入院中の病人を見舞い、彼に告げた。
「本を見た。素晴らしい」
彼は答えた。
「手遅れだ」
彼は彼の作り上げた王国を人に見られたくはなかったのだ。
自分だけの世界。
自分だけが耽溺できる場所を、人に踏みにじられたと感じたのだろう。
81歳の誕生日の翌日、彼はこの世界から去っていった。
ヘンリー・ダーガー 非現実の王国でHenry Darger: In the Realms of the Unreal Darger: The Henry Darger Collection at the American Folk Art Museum Henry Darger: Disasters of War