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ここは【お姫様倶楽部Petit】の備忘録的リンク集【Petitの本棚】です

お姫様倶楽部Petit
男装麗人嗜好会
それでも蜀が好き
paperboy&co.
▼資料其の一▼
グリム兄弟
アンデルセン
ペロー
楠山 正雄
鈴木三重吉
芥川 竜之介
夢野久作
田中貢太郎
坂口安吾
日本人作家
欧米作家
翻訳翻案系
その他の作家
▼資料其の二▼
錬金術のメモ
歴史関連のメモ
fantasy関連のメモ
その他のメモ

UPDATE:2008/06/30(Mon) 17:57

お姫様倶楽部Petit資料室 著作権法に抵触しない「お姫様関連文書」

日本人作家

小説家たらんとする青年に与う New! 作家名:菊池寛

菊池寛アーカイブに依ると、大正12年(1923年)12月、著者34歳の時の文章。
著者の小説観、創作手法の一端が解る。
僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則をこしらえたい。全く、十七、十八乃至ないし二十歳で、小説を書いたって、しようがないと思う。
中略

僕なんかも、始めて小説というものを書いたのは、二十八の年だ。それまでは、小説といったものは全く一つも書いたことはない。紙に向って小説を書く練習なんか、少しも要らないのだ。
小手先の技法に捕らわれず、人生修行に励んでから書きなさい、ということらしい。

底本:半自叙伝 (講談社学術文庫) 初版発行日: 1987(昭和62)年7月10日
(2008/06/30(Mon) 17:57)
セメント樽の中の手紙 New! 作家名:葉山 嘉樹

恵那山の麓、大井ダム発電所工事の現場。
コンクリートミキサーにセメントを投入する作業を黙々と行う労働者・松戸与三は、全身セメントまみれになりながら働いていた。
その日の作業も終わりに近くなった頃に明けたセメント樽の中から、小さな木箱が出てきた。
金目の物への僅かな期待から、与三はこれを持ち帰る。
作業員宿舎の長屋には身重の妻と六人の子供がいる。
苦しい生活を嘆き、やけを起こした与三は、彼は件の箱を床にたたきつけ、踏みつけにして壊した。
箱の中からはボロ切れに包まれた紙が出てきた。
紙には、
――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器クラッシャーへ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へはまりました。――
と言う書き出しの、女の筆跡があった。

過酷な環境で働く労働者たちを描くプロレタリア文芸の異色掌編。
初出:1926・1『文芸戦線』
底本:全集・現代文学の発見〈第1巻〉最初の衝撃 (1968年)
(2008/06/30(Mon) 17:33)
赤坂城の謀略 Up! 作家名:国枝 史郎

鎌倉幕府からは「悪党」と蔑まれ、北朝側から「朝敵」とされ、子孫がその不名誉を晴らしていこうは「名軍師」「日本の孔明/張良」などと称され、明治の頃には「忠臣の鑑」と呼ばれた、大楠公こと楠木正成を主人公とする短編時代小説。

1331年、後醍醐天皇挙兵に呼応した楠木正成は、赤坂城で挙兵する。
これを知った幕府は討伐軍を差し向けた。
守るは手勢僅か500の正成。
攻めるは20万の鎌倉幕府軍。
落城・自害と見せかけて脱出した正成は、山中で後醍醐天皇の皇子・護良親王を保護。
正成は挙兵の地・赤坂城の奪還を堅く心に誓う。
翌1332年。
兵力を立て直した正成は、2千余兵で摂津・天王寺を押さえる。
攻め来る幕府軍は700余。
数の差を持って一気に攻めようという部下の進言を退けた正成が用いたのは「空城の計(応用編)」とも言える策。
正成は夜明け前に本陣を引き払い、2千の兵を全撤退させる。
そうとは知らない幕府方の武将・宇都宮公綱が夜明けと同時に攻め込むと、天王寺はもぬけの殻。
公綱は警戒しつつ天王寺に陣を張った。
夜が訪れると、周囲の山々には数えきれぬたいまつの明かりが揺れ始める。
かねて正成の奇策を知る公綱は、正成が「引いたと見せて、新手を率いて攻め来るつもり」と見、警戒を強める。
だが正成軍が動く気配はない。
翌日も、その翌日も、何万もの篝火が山中に揺れたつ。
公綱の軍勢は正成の総攻撃がいつになるのか知れず、不眠不休で身構え続けたが、一向に攻撃はない。
とうとう疲労困憊極まった公綱はついに撤退する。
敵方にも見方にも一兵の死者負傷者を出さずして、戦いは終結したのだった。

初出:「日の出」1935(昭和10)年6月
底本:「時代小説を読む〈城之巻〉」大陸書房1991(平成3)年1月10日初版
(2008/06/24(Tue) 14:30)
修禪寺物語 作家名:岡本綺堂

旧字旧仮名版。
内容は新字新仮名版と同一。

綺堂が修善寺に遊んだ折り、修禅寺に伝わる寺宝「頼朝の面」という奇妙な木彫の面を見て着想したという、鎌倉時代を描いた戯曲。

元久元年七月十八日(1204年8月14日)。
能面師・夜叉王は、二人の娘「かつら」「かえで」、弟子の晴彦の四人で、伊豆・修善寺に暮らしている。
長女のかつらは、都生まれの亡き母親に似たか、公家気質で気位が高く、高貴な身分の男性と結婚を望み、二十歳の歳になった今でも独身でいる。
十八歳の次女かえでは、父親似の職人気質で、父の弟子である晴彦を夫に迎えていた。
夜叉王は伊豆に流された頼家から、彼の顔を写した能面を作るように依頼されていたが、半年を過ぎても納品できずにいた。
その日、痺れをきらした頼家が、自ら夜叉王の工房へ催促にやってきた。
気性の激しい頼家は、まだ納得行く作品ができぬという夜叉王に斬り掛かる。
慌てた晴彦ができあがっていた面を持ってくる。
頼家はその出来を褒めたが、夜叉王は納得していない。
生きた人を写した面に「死相」が浮かんでいると言うのだ。
しかし面を気に入ったという頼家。かつらは面を箱に収め献上する。
かつらの美しさをみとめた頼家は、かつらに奉公に上がるよう命ずる。
かつらは自らの望みかなったと喜び、面を携えて家を出て行く。
修禅寺に戻った頼家は、かつらに亡き妻の名である若狭を名乗らせた。
一時、心安らぐ頼家主従。
しかしその夜、北条方が修禅寺を襲撃した。
俄に聞こえる騒乱の物音に、かつらの身を案じる夜叉王一家。
夜陰から現れた落ち武者をかえで・晴彦夫婦が助け起こすと、それは男装したかつらだった。
父の打った面を被り頼家の衣裳を身につけたかつらは、自ら頼家と名乗りを上げることにより、我が身に敵を引きつけ頼家を逃がそうと務め、深手を負ったのだった。
しかし、寺より避難してきた僧侶から、すでに頼家も討たれたと聞かされ、かつらは力を失う。
かつらが身につけ、敵の返り血を浴びた頼家の面を手にした夜叉王は、今事切れようとする娘を前に歓喜し、笑う。

「幾たび打ち直してもこのおもてに、死相のあり/\と見えたるは、われ拙きにあらず、鈍きにあらず。源氏の將軍頼家卿が斯く相成るべき御運とは、今といふ今、はじめて覺つた。神ならでは知ろしめされぬ人の運命、先づわが作にあらはれしは、自然の感應、自然の妙、技藝しんに入るとはこの事よ。伊豆の夜叉王、われながら天晴れ天下一ぢやなう。」

死に行くかつらもまた笑う。

「わたしも天晴れお局樣ぢや。死んでも思ひ置くことない。ちつとも早う上樣のおあとを慕うて、冥土のおん供……。」

娘の苦しげな顔を見た夜叉王は、弟子に筆と紙を取りに行かせ、若い娘の断末魔を「後の手本」に写生するのだった。

初出:「文芸倶楽部」   1911(明治44)年1月
底本:「日本現代文學全集34 岡本綺堂・小山内薫・眞山青果集」講談社   1968(昭和43)年6月19日発行
(2008/06/07(Sat) 20:16)
修禅寺物語 作家名:岡本綺堂

新字新仮名版。
内容は旧字旧仮名版と同一。

綺堂が修善寺に遊んだ折り、修禅寺に伝わる寺宝「頼朝の面」という奇妙な木彫の面を見て着想したという、鎌倉時代を描いた戯曲。

元久元年七月十八日(1204年8月14日)。
能面師・夜叉王は、二人の娘「かつら」「かえで」、弟子の晴彦の四人で、伊豆・修善寺に暮らしている。
長女のかつらは、都生まれの亡き母親に似たか、公家気質で気位が高く、高貴な身分の男性と結婚を望み、二十歳の歳になった今でも独身でいる。
十八歳の次女かえでは、父親似の職人気質で、父の弟子である晴彦を夫に迎えていた。
夜叉王は伊豆に流された頼家から、彼の顔を写した能面を作るように依頼されていたが、半年を過ぎても納品できずにいた。
その日、痺れをきらした頼家が、自ら夜叉王の工房へ催促にやってきた。
気性の激しい頼家は、まだ納得行く作品ができぬという夜叉王に斬り掛かる。
慌てた晴彦ができあがっていた面を持ってくる。
頼家はその出来を褒めたが、夜叉王は納得していない。
生きた人を写した面に「死相」が浮かんでいると言うのだ。
しかし面を気に入ったという頼家。かつらは面を箱に収め献上する。
かつらの美しさをみとめた頼家は、かつらに奉公に上がるよう命ずる。
かつらは自らの望みかなったと喜び、面を携えて家を出て行く。
修禅寺に戻った頼家は、かつらに亡き妻の名である若狭を名乗らせた。
一時、心安らぐ頼家主従。
しかしその夜、北条方が修禅寺を襲撃した。
俄に聞こえる騒乱の物音に、かつらの身を案じる夜叉王一家。
夜陰から現れた落ち武者をかえで・晴彦夫婦が助け起こすと、それは男装したかつらだった。
父の打った面を被り頼家の衣裳を身につけたかつらは、自ら頼家と名乗りを上げることにより、我が身に敵を引きつけ頼家を逃がそうと務め、深手を負ったのだった。
しかし、寺より避難してきた僧侶から、すでに頼家も討たれたと聞かされ、かつらは力を失う。
かつらが身につけ、敵の返り血を浴びた頼家の面を手にした夜叉王は、今事切れようとする娘を前に歓喜し、笑う。

「幾たび打ち直してもこの面に、死相のありありと見えたるは、われ拙きにあらず。鈍きにあらず。源氏の将軍頼家卿がかく相成るべき御運とは、今という今、はじめて覚った。神ならでは知ろしめされぬ人の運命、まずわが作にあらわれしは、自然の感応、自然の妙、技芸しんに入るとはこのことよ。伊豆の夜叉王、われながらあっぱれ天下一じゃのう。」

死に行くかつらもまた笑う。

「わたしもあっぱれお局様じゃ。死んでも思いおくことない。ちっとも早う上様のおあとを慕うて、冥土めいのおん供……。」

娘の苦しげな顔を見た夜叉王は、弟子に筆と紙を取りに行かせ、若い娘の断末魔を「後の手本」に写生するのだった。

初出:「文芸倶楽部」   1911(明治44)年1月
底本:「日本の文学 77 名作集(一)」中央公論社   1970(昭和45)年7月5日初版発行
(2008/06/07(Sat) 20:13)
現今の少女小説について 作家名:宮本 百合子

習作。
完成原稿ではないので、改行の位置などの乱れ誤字と思われる記述などが散見される。
宮本 百合子(1899年2月13日 - 1951年1月21日)は昭和期の小説家(プロレタリア文学)、評論家。
このテクストは、底本解題の著者・大森寿恵子(宮本百合子の元秘書)によれば、1914(大正3)年4月24日執筆と推定されるとのこと。
とすれば、文壇デビュー(1916年、当時17歳)前、15歳の文章ということになる。

 世の中にありあまるほどいらっしゃる少女小説の作者に申します。
 失礼な申し分かも知れませんが若い娘共に只悲し味と云うものばかりほか注ぎ込んで下さらないのなら、どうぞ筆をお持ちになることをやめて下さいまし。
 若しつくそうと思って居て下さる方々へはどうぞ価値のある力強い、美術的な又芸術的な、一つの或る馬鹿に出来ないものである少女小説をお出し下さい。
 私は今の少女小説は、悲しみの毒虫と云います。
(2008/04/09(Wed) 12:11)
桜の樹の下には(新字旧仮名) 作家名:梶井基次郎

内容は桜の樹の下には(新字新仮名)と同一。

桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!
不安と狂気を胸に抱き、精神的に不安定になっている男が、友人に語る一人称の形を取った掌編。
かげろうの死骸が浮かぶ水たまりから、美しいと感じられるもと表裏一体に無数の死があると見た彼は、魂の解放を感じて狂喜する。
俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があつて、はじめて俺の心象は明確になつて来る。
男の歓喜を聞き、友人は冷や汗を流して恐怖するのだった。
初出: 「詩と詩論 第二冊」1928(昭和3)年12月
底本: 現代日本文學大系 63 梶井基次郎・外村繁・中島敦集
出版社: 筑摩書房
(2008/03/14(Fri) 10:25)
桜の樹の下には(新字新仮名) 作家名:梶井基次郎

旧仮名遣(正仮名遣)で発表された作品の表記を現代仮名遣に改めたもの。
内容は桜の樹の下には(新字旧仮名)と同一。

桜の樹の下には屍体が埋まっている!
不安と狂気を胸に抱き、精神的に不安定になっている男が、友人に語る一人称の形を取った掌編。
かげろうの死骸が浮かぶ水たまりから、美しいと感じられるもと表裏一体に無数の死があると見た彼は、魂の解放を感じて狂喜する。
俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。
男の歓喜を聞き、友人は冷や汗を流して恐怖するのだった。
初出: 「詩と詩論 第二冊」1928(昭和3)年12月
底本: 檸檬・ある心の風景
出版社: 旺文社文庫、旺文社
(2008/03/14(Fri) 10:22)
アイヌ神謡集 作家名: 知里幸惠(編・訳)

アイヌ民族に伝わる「カムイユカラ(神の叙事詩・神謡)」。
カムイユカラは「カムイ(神々)が自ら語る形式のユカラ(ユーカラ 謡・叙事詩)」で、神(自然)とアイヌ(人間)の関係を表す物語・教訓などがうたわれている。

編者であり訳者の知里幸恵は、ユーカラクル(ユカラの語り部)であった祖母・金成モナシノウクが謡い、母方の叔母・金城マツがローマ字で書き留めたユカラ(アイヌ叙事詩)を、大和言葉に翻訳し、言語学者・金田一京助の助言と協力によって脱稿。
出版を目前にしていた1922年9月18日に心臓麻痺で急逝。享年19。
文字を持たないアイヌ語は、歌と語りでその歴史を綴る。
明治以降、北海道が急速に開発され、アイヌが大和民族に飲み込まれてゆく過程で、語り部達はその数を減らしていった。
知里幸恵は祖母と叔母の影響でアイヌ語が堪能であり、失われてゆく自らのアイデンテティ(北海道の自然、アイヌの文化)を守りたいという強い願いから、命を削ってこの神謡集を著したといえる。
(2008/02/26(Tue) 11:37)
小熊秀雄全集-14 童話集 作家名: 小熊 秀雄
詩人・小熊秀雄が生涯に書いた全童話を収録。

トムは自分の財産を泥棒や乞食に分け与えてしまうのほどのお人好し。
ある嵐の晩、トムの家に嵐のために家来とはぐれてしまったという「南の国の姫」がやってきた。トムが親切に世話をすると、姫はトムのお嫁さんになった。
ところがこのお嫁さんがあまりに美しいので、トムは気が気ではない。畑仕事も上の空で手に付かない有様。
そこでお嫁さんは自画像を描いてこれを見ながら畑仕事をしなさいと、トムに渡す。
トムは絵を畑に飾って仕事に励む。ところが突然強い風が吹いて絵は飛ばされてしまった。
飛ばされた絵はお城の堀に。それを見た王様、余りの美しさにモデルを我が妃にと求め……。自画像
三人の若い騎士は、「この国でいちばん勇ましい騎士に(中略)可愛い王女をくれる」という王様のおふれ書きをを見て、王城まで旅をすることに。
旅の途中で無人の寺院に宿を取ることになった三人の前に、恐ろしげな娘が現れる。
二人の騎士は畏れたが、もう一人は勇気を持ってその女の正体を探ることに。
やがて娘は騎士を墓地に誘い、墓を掘らせた。
そして中からとりだした赤子の亡骸を、貪るように食べ始めた……。三人の騎士
ほか17編(計19編)の短編集。
(2008/01/04(Fri) 14:47)
大衆文芸作法 作家名:直木三十五

エンターテインメント文学の新人に与えられる文学賞「直木賞(直木三十五賞)」の名称の由来となった大衆文学作家による、大衆文学考。
「大衆文学の定義」「大衆文学の意義」「大衆文学の歴史」「文章に就いて」「時代小説」「科学小説」「探偵小説」「少年小説と家庭小説」「ユーモア小説」「愛欲小説」「結論」の11章からなる。
「文章に就いて」の章では芸術としての文学と通俗・大衆文学との表現の違いについて、東西の作家の文章を引用して解説。
曰く
(前略)
だから、芸術小説と大衆小説との分岐点は題材の如何にあるのでは無くて、寧ろその文章にあるのである。
(中略)
そこで、大衆文芸の文章は? くだけて云うなら、難渋な文章を書いてはいけないのである。
(中略)
平易な文章というのは、自分の文章の特色を没却することを意味するのでは断じてない、ということである。(中略)よき文章家には、必ず隠そうとして隠し切れないであろう特色が、自らその文章に浮び出るものである。
(後略)
(2007/12/01(Sat) 15:05)
怪談綺談 作家名:小酒井不木

お城の広間にあるシビル(ギリシア神話の予言の女神)の絵画を異様に畏れる令嬢。
発掘に関わった人々が次々に不幸に見舞われたという木乃伊(ミイラ)の行方。
70才の誕生日を迎えた詩人が聞いた不可思議な調べ。
奇妙な夢を見た夫人たちの話。
母に死なれた一人娘の狂乱を鎮めた何者かの存在。
あるヒステリー症状のある女性が見た幻の蜂。
旅行者が聞いた「予言」についての小話。
作者が「西洋の文献を探し」見つけた「いささか変ったところ」のある7つの掌編。
初出:「講談倶楽部」1928(昭和3)年3月号
(2007/11/21(Wed) 17:04)
虹の絵の具皿 (十力の金剛石) 作家名:宮沢賢治

玻璃(水晶ないしはガラス)の宮殿から内緒で抜け出した王子さま。
そっと駆け込むのは大臣の家。
大臣の息子は王子さまと同い年のお友達。
虹の脚もとにあるという『ルビーの絵の具皿』を探しに、王子さまと大臣の息子は霧の立ちこめる野原を駆け出した。
暗い森を抜け、藪を切り払って、濃い霧の中を進んでゆくと、そこは森にかこまれたきれいな草の丘。
空からぽつぽつ降る霰はダイアモンドやトパーズやサファイア。
竜胆の花は天河石(アマゾナイト)で葉は硅孔雀石(クリソコラ)、黄色い草の穂は猫睛石(キャッツアイ)、梅鉢草は蛋白石(オパール)、当薬の葉っぱは碧玉(ジャスパー)で蕾は紫水晶(アメシスト)、野薔薇の枝は琥珀と霰石(アラゴナイト)で真っ赤なルビーの実がなっている。
美しい花々は寂しげに歌う。
「十力(じゅうりき)の金剛石は今日も来ない」
花たちが言うには十里木の金剛石とは、
チカチカうるさく光ったりせず、きらめくときも、かすかに濁るときも、薄光りするときも、真っ暗なときもあり、春の風よりやわらかく、卵形に丸く、霧よりも小さいときもあれば空や大地を埋め尽くすときもあり、千の粒に分かれることもあれば、たちまち一つに集まり、堆肥の湿り気の中、草や木の体の内、子供の頬で輝くもの。
花々が待ち望むそれは、やがて漸く降り注いだ……。
(2007/09/03(Mon) 11:54)
お月様の唄 著者:豊島与志雄

昔々。ある国の八つになる王子様は、月の晩になるとお城の裏の森の妖精に連れられて、千草姫という白樫森の女王の元へ遊びに行っておりました。
森の精達は元々は野原に住んでいたのですが、野原が開墾され田畑となったため、仕方なく森に隠れ住むようになったといいます。
千草姫と森の精達が夏の日照りのことや秋の洪水のことを予言してくれるので、王子様はそれを父王様に告げました。
半信半疑の王様でしたが、それでも災害に備えを調えておいたところ、確かに日照りや洪水が起きました。
備えのおかげで田畑は無事であったので、王様も国の人々も、王子様は神の子かも知れないと思うようになりました。
災害を乗り越えた国はだんだん豊かになってきたので、新しい家を建てるための材木や、田畑を開く土地が必要になりました。
そこで、白樫の森の木を材木にし、その跡を畑にしてしまうという計画が持ち上がったのです……。
底本: 豊島与志雄童話集
(2007/07/02(Mon) 13:32)
ろまん燈籠 作者:太宰治
入江家の人々は揃いもそろって変わり者。
彼らの楽しみは、皆で一つの物語を連作すること。
その日は末弟が物語を造り始める事となったが、どうにも良い案が浮かばない。
そこで彼は、「アンデルセン童話集、グリム物語、ホオムズの冒険などを読み漁(あさ)っ」て、そこから剽窃することにした。
その物語の尻を次女が接ぎ、母親が接ぎ、長女が接ぎ、長兄が接ぎ……そして、醜い魔女と美しい娘ラプンツェル、そして王子の、継ぎ接ぎな物語が完成した。
(2006/10/16(Mon) 13:49)
巨男の話 作者:新美南吉
魔女を母に持つ大男。
ある日母親がお姫様と侍女に魔法をかける。
姫は白鳥に、侍女達は黒い鳥に姿を変えられてしまった。
魔女の死の間際、大男は鳥にされた人々を人に戻す術を聞き出して……。
(2006/10/16(Mon) 13:49)
ラマ塔の秘密 作家名: 宮原晃一郎
戦前・戦中の中国大陸を舞台にした、児童向け冒険活劇。
おてんばな満州族の姫ニナールと、気の弱い蒙古族の王子ジウラは、肝試しとして古いラマ教の寺院に行きました。
そこは馬賊の根城となっており、ジウラは人質にとられてしまいます。
(2006/10/16(Mon) 13:49)


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