お姫様倶楽部Petit資料室 著作権法に抵触しない「お姫様関連文書」に、
坂口安吾……じゃなくて、国枝史郎の
赤坂城の謀略を追加。(2008/06/26、作家名修正。両先生、ごめんなさい)
お姫様は出てきません(苦笑)
鎌倉幕府からは「悪党」と蔑まれ、北朝側から「朝敵」とされ、子孫がその不名誉を晴らしていこうは「名軍師」「日本の孔明/張良」などと称され、明治の頃には「忠臣の鑑」と呼ばれた、大楠公こと楠木正成を主人公とする短編時代小説。
1331年、後醍醐天皇挙兵に呼応した楠木正成は、赤坂城で挙兵する。
これを知った幕府は討伐軍を差し向けた。
守るは手勢僅か500の正成。
攻めるは20万の鎌倉幕府軍。
落城・自害と見せかけて脱出した正成は、山中で後醍醐天皇の皇子・護良親王を保護。
正成は挙兵の地・赤坂城の奪還を堅く心に誓う。
翌1332年。
兵力を立て直した正成は、2千余兵で摂津・天王寺を押さえる。
攻め来る幕府軍は700余。
数の差を持って一気に攻めようという部下の進言を退けた正成が用いたのは「空城の計(応用編)」とも言える策。
正成は夜明け前に本陣を引き払い、2千の兵を全撤退させる。
そうとは知らない幕府方の武将・宇都宮公綱が夜明けと同時に攻め込むと、天王寺はもぬけの殻。
公綱は警戒しつつ天王寺に陣を張った。
夜が訪れると、周囲の山々には数えきれぬたいまつの明かりが揺れ始める。
かねて正成の奇策を知る公綱は、正成が「引いたと見せて、新手を率いて攻め来るつもり」と見、警戒を強める。
だが正成軍が動く気配はない。
翌日も、その翌日も、何万もの篝火が山中に揺れたつ。
公綱の軍勢は正成の総攻撃がいつになるのか知れず、不眠不休で身構え続けたが、一向に攻撃はない。
とうとう疲労困憊極まった公綱はついに撤退する。
敵方にも見方にも一兵の死者負傷者を出さずして、戦いは終結したのだった。
初出:「日の出」1935(昭和10)年6月
底本:「
時代小説を読む〈城之巻〉」大陸書房1991(平成3)年1月10日初版