えっと、永禄11(1568)年の駿河攻の記録では「真田源五郎or真田喜兵衛」名義で、12年の蒲原城攻の時は「真田源五郎」で、13年の花沢城攻では「真田喜兵衛」で、元亀3(1572)年2月の記述から「武藤喜兵衛尉」になってて、天正3(1575)年に真田家に戻ってて……。
— 神光寺かをり(銭さん家) (@syufutosousaku) 2018年5月27日
安房守になったのいつだ?#覚え切れん
於国姉上(村松殿)がうまれたのが永禄8(1565)年なので、山手マッマとの結婚は永禄6(1563)年頃で、満で16歳、数えで17歳か18歳のパッパは「真田源五郎昌幸」なのだな?
— 神光寺かをり(銭さん家) (@syufutosousaku) 2018年5月27日
……ってか、パッパ二十歳の時に長男が生まれてるのか……。
喜兵衛尉の名乗りは、蒲原城合戦で功を上げて足軽大将に任ぜられた時にお屋形様から貰った、と。
— 神光寺かをり(銭さん家) (@syufutosousaku) 2018年5月27日
天正8(1580)年に沼田を取って、勝頼様の嫡子の信勝さまが元服するってんで、その祝儀の名目で安房守の名乗りを許される、と。
— 神光寺かをり(銭さん家) (@syufutosousaku) 2018年5月27日
で、同じ時に長男(満14歳。数えで15歳か?)も元服して源三郎信幸になる、と。
取りあえず、新婚時代はマッマから(表向きは「殿様」だけど)、
— 神光寺かをり(銭さん家) (@syufutosousaku) 2018年5月27日
「源五郎様/源五郎殿」か「源五様/源五殿」
と呼ばれる設定でよろしいか?
武藤家に入ってからは武藤屋敷(現・山梨県南アルプス市落合)に棲んでた時期もあったかも知れぬが、その前はどうだろう。
— 神光寺かをり(銭さん家) (@syufutosousaku) 2018年5月27日
武田に「人質」として預けられてたわけだから、じっじや兄上達がいる「真田家の屋敷」じゃなくて、躑躅ヶ崎のお屋敷の中に棲んでた?
……こういう細かいところにとらわれすぎると、作品を書けないのだぞ。
— 神光寺かをり(銭さん家) (@syufutosousaku) 2018年5月27日
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