武将メシ | 武将メシ 永山 久夫 (著) 出版社: 宝島社 (2013/3/15) 豆味噌で天下を取った秀吉。大豆パワーで頭脳を磨いた政宗。利家とまつのスタミナ夫婦膳。戦国十九武将登場。 現代とは大きく異なる食料事情であった戦国時代、『食』こそがひとつの武器であった。 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら天下統一を引き寄せた武将たちが、尾張・三河地方から出現したのは決して偶然ではないと著者は断言する。 そして今日、武将の食事が「健康・長寿」にも効果的だったことがわかっている。 上杉謙信、武田信玄、毛利元就、明智光秀、石田三成、加藤清正、高山右近など、戦国時代を彩った漢たちの食卓を、食文化史研究家・永山久夫氏が、あざやかに再現する。 豆味噌の握り飯・対抗スープと焼き味噌:豊臣秀吉 スタミナ夫婦膳:前田利家 黒米(玄米)めし:加藤清正 鯛のなます:黒田長政 兵糧丸(ひょうりょうがん)といもの茎縄:上杉謙信 甲斐のほうとう鍋:武田信玄 あわびと焼き鳥の田舎膳:織田信長 ニラ雑炊:石田三成 汁講の膳:明智光秀 麦飯・鯛の天ぷらと浜納豆:徳川家康 アシタバ飯:宇喜多秀家 持ちの養生食:毛利元就 クコ飯と納豆汁:天海 欲しいワシの塩焼き:鍋島直茂 若き日の膳・本膳と鳥汁・豪華おせち料理:伊達政宗 七色飯:春日局 鮭の氷頭なます:毛利輝元 カツオ節と赤鰯:大久保彦左衛門 牛鍋:高山右近 (2013/03/16(Sat) 19:02) | ||
プリンセスがいっぱい!キラキラかわいいおんなのこのおはなし | プリンセスがいっぱい!キラキラかわいいおんなのこのおはなし 立原 えりか (著) 出版社: ナツメ社 (2013/3/18) 女の子が大好きなお姫様が登場するお話や、かわいい女の子が活躍するお話を25話収録。 人気少女マンガ家やイラストレーターによるかわいい挿絵でお話を楽しめます。 また、お姫様のドレスを着せ替えて遊ぶ「きせかえシール」や、間違い探しなどのあそびページもあり、一冊まるごと楽しめます。 (2013/03/16(Sat) 19:00) | ||
リカちゃん ぜんぶ おひめさま シールえほん | リカちゃん ぜんぶ おひめさま シールえほん (講談社 Mook(おともだちMOOK)) 講談社 (著) 出版社: 講談社 (2013/1/26) 新作や日本未発売のドレスなど、大きなドレスシールがいっぱい。 大人気のリカちゃんをお気に入りのシールでお姫さまに変身させてね! (2013/03/11(Mon) 17:39) |
灯陰の冒険者 | 灯陰の冒険者 サークル名 : 希望風 ホームページ : http://akanezora.sakura.ne.jp/ 販売日 : 2013年2月10日 年齢指定 : 全年齢 作品形式 : 同人誌マンガ ファイル形式 : 画像(JPEG) その他 : PDF同梱 ジャンル : 戦士 ファンタジー 歴史/時代物 中世西欧にて良く耳にする「封建制度」や「絶対王政」。 単語は聞いてもどういう物かを意外と解らないという素朴な疑問から作りました。 解り安く入門的にという事で、表紙込みで46Pにて説明しております。 少しでも中世のあまり光りが当たらないところへ意識を向けて貰えればなと思います。 (2013/03/11(Mon) 17:26) | ||
ひかるにゃん氏のよくわかる平安の乗り物 | ひかるにゃん氏のよくわかる平安の乗り物 サークル名 : 夢時間 ホームページ : http://yumezikan.web.fc2.com/ 販売日 : 2013年3月11日 年齢指定 : 全年齢 作品形式 : 同人誌イラスト+ノベル ファイル形式 : 画像(JPEG) 対応OS : ちょっとしたお出かけや遠国までの旅、そのための乗り物が平安時代にも当然ありました。 今とは大分違います。車といえば自動車ではなく牛車のこと、馬や舟ももちろん使っていましたよ。 (2013/03/11(Mon) 17:25) | ||
ひかるにゃん氏のよくわかる十二単・束帯・直衣・狩衣 | ひかるにゃん氏のよくわかる十二単・束帯・直衣・狩衣 サークル名 : 夢時間 ホームページ : http://yumezikan.web.fc2.com/ 販売日 : 2010年11月9日 年齢指定 : 全年齢 作品形式 : 同人ソフトイラスト集(CG集) ファイル形式 : HTML(+画像) ジャンル : 歴史/時代物 平安時代の女性の衣装、十二単(じゅうにひとえ)に小袿(こうちき) 男性の衣装の束帯(そくたい)直衣(のうし)狩衣(かりぎぬ) TVや映画で一度は見た事があるはす。 何時何処でどんなふうに着ていたか 興味はありませんか? 下着からの着付けを解りやすく説明しました。 衣装の名称や其々の柄、文様も。 扇や刀等のアイテム、小物も入っています。 解りやすくがモットーの解説本です。 (2013/03/11(Mon) 17:24) | ||
ひかるにゃん氏のよくわかる寝殿造り | ひかるにゃん氏のよくわかる寝殿造り サークル名 : 夢時間 ホームページ : http://yumezikan.web.fc2.com/ 販売日 : 2013年2月12日 年齢指定 : 全年齢 作品形式 : 同人誌マンガ ファイル形式 : 画像(JPEG) その他 : PDF同梱 ジャンル : 歴史/時代物 平安時代の貴族の住居。 広くて豪華―ですが、どんな風に暮らしていたのか よくわからない所がありますよね。 そんな貴族の住居を解りやすく解説します。 JPEG42枚(PDF44ページ)の作品です。 (2013/03/11(Mon) 17:22) | ||
歴史に輝くお姫様大図鑑 | 歴史に輝くお姫様大図鑑 ブレインナビ (編集), ウェッジホールディングス= (編集) 出版社: 金の星社 (2013/03) “一生懸命が姫たちの人生を輝かせる 男装して国を率いた女王、夫と共に戦った妻、美しさゆえに薄幸の人生を強いられた姫。 女王、王女、皇女、大名の妻子、貴婦人など、しなやかに生き、歴史を動かした女性たちの人生を美しいイラストと共に紹介する。 (2013/03/11(Mon) 10:07) |
アルノルドゥス・モンタヌス(Arnoldus Montanus, 1625年 - 1683年)
オランダの宣教師、歴史学者。
世界中の地理歴史についての書物を多数著した。日本に関しては、1669年著の『東インド会社遣日使節紀行』(通称「日本誌」 独:Gedenkwaerdige Gesantschappen der Oost-Indische Maetschappy aen de Kaisaren van Japan)がある。ただし、自身は一度も来日しておらず、イエズス会士の報告書や、使節の江戸参府紀行に基づいて著したとされる。
信松尼・松姫
永禄4年(1561年) - 元和2年4月16日(1616年5月31日)
武田信玄の五女。母は側室の油川氏。
同母の兄弟姉妹には
仁科盛信(五郎。初名は武田晴清)
葛山信貞(十郎)、
真竜院・真理姫(木曾義昌室)、
大儀院・菊姫(上杉景勝室)らがいる。
永禄年間に武田氏は尾張国の織田氏と接し信玄の世子・勝頼の正室には織田信長養女(信長の妹の娘)遠山氏娘(遠山夫人)を迎えていた。
しかし遠山夫人は永禄10年(1567年)11月に死去。
織田との同盟の補強を考えた武田家は当時7歳の松姫と信長の嫡男・織田信忠(11歳)との婚約を成立させる。
この時から松姫は「信忠正室を武田家で預かっている」という形を取られ、新館御料人と呼ばれるようになった。
元亀3年12月22日(1573年1月25日)、武田と徳川の間で「三方ヶ原の戦」が起こる。
この時織田信長は、徳川方に3000の援軍を送る。
これにより、武田と織田は手切れとなり、信忠と松姫の婚約は破談となった。
天正元年(1573年)、信玄が死去。家督は異母兄の四郎勝頼が継ぎ、松姫は同母兄の仁科盛信(後に高遠城主)の庇護を受け、高遠城下の館に移る。
天正10年(1582年)、織田・徳川軍による甲州征伐が本格化。この時織田軍は信長嫡男・信忠(26歳)が大将を務めている。
最前線となった高遠城から新府城(現在の山梨県韮崎市中田町)に姪(盛信の娘)の督姫(4歳)とともに落とされた松姫(22歳)だったが、天目山に逃れた勝頼一行とは別行動をとる。
新府城にいた勝頼のこれも4歳の娘・貞姫(小督姫)、一族衆・小山田信茂のやはり4歳の娘・香貴姫を連れ、従者らとともに甲府城へ向かう。
甲府で異母兄の海野信親(武田竜芳・御聖導様)と今後の相談をしたあと、甲斐国内の寺院を転々とする逃亡生活を送る。
2月28日、高遠城落城、仁科盛信ら討死。
3月6日(又は7日)、織田信忠が甲府に入城。
3月11日、天目山にて武田勝頼自刃。
落ち武者狩りを恐れた松姫一行は、勝頼夫人の実家北条家を頼ろうと東へ向かう。
そして、武蔵国多摩郡恩方(現・東京都八王子市)へ向かい、金照庵(現・八王子市上恩方町)に入る。
一方織田信忠は松姫を正式に妻に迎えようと彼女らを捜索、八王子で生存していると知り、使者を送った。
松姫は信忠に会いに向かわんとししていたその日……6月2日、本能寺の変勃発。
信忠は善戦するも衆寡敵せず、自刃して果てる。
その年の秋ごろ、出家し信松尼と称した松姫は、心源院(現・八王子市下恩方町)で武田一族とともに信忠の冥福を祈る日々を送り始める。
天正18年(1590年)八王子・御所水(現・八王子市台町)に移り住み、近所の子供たちに読み書きを教え、蚕を育て、織物を作り得た収入で、督姫・貞姫(小督姫)・香貴姫の3人の姫を養育する。
後に天下統一を果たした徳川家康は、恩方に武田信玄の娘・松姫がいると知ると、元武田家臣で当時八王子の代官頭だった大久保長安に支援を指示する。
長安は自分の家の近くに信松尼のための草庵を作った。
松姫の存在は、旧武田家臣が多かった貧しい八王子千人同心の心の支えにもなったと言う。
元和2年(1616年)に死去、享年56。
松姫の暮らした草庵は現在「金龍山 信松院」(東京都八王子市台町3丁目18番28号)として残っている。
内藤 昌豊
1522年(大永2年)〜1575年6月29日(天正3年5月21日)
武田氏の家臣。武田四天王の一人。
「内藤昌豊」の名で伝わるが、『高崎市史』によれば「内藤昌秀」が正しいという説が有力である。
武田信虎の重臣・工藤虎豊の次男として生まれる。はじめ工藤祐長と名乗った。通称・源左衛門。
父の虎豊が信虎の勘気に触れて内藤虎資と共に誅殺されたため、難を逃れて兄と共に武田家から出奔。
天文15年(1546年)、信玄に召還される。工藤氏の旧領と家督を継ぐことを許され、同時に50騎持の侍大将に抜擢された。
永禄11年(1568年)、断絶していた武田家譜代の名門・内藤家の名跡を継ぎ、内藤姓に改め、修理亮を名乗った。
天正3年(1575年)の長篠の戦いでは、戦況不利を悟って勝頼に撤退を進言したが受け入れらず、出撃して壮烈な戦死を遂げたといわれる。享年54。
武略に長け、武田信繁と共に武田の副将格として評された。
『甲陽軍鑑』にも、山県昌景が昌豊のことを「古典厩信繁、内藤昌豊こそは、毎事相整う真の副将なり」と評したと記している。
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