♥ | 字幕閑話 |
| 作家名:秘田余四郎
映画字幕翻訳家である作者の元に届けられる「困ったファンレター」に関する、ごく短い随筆。 秘田余四郎(ひめだ よしろう、1908年10月15日 - 1967年9月18日)は、翻訳家(仏文学)、小説家。本名・姫田嘉男。 (2018/05/30(Wed) 15:39)
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♥ | サンタクロースはいるんだ Up! |
| 原著名:YES, VIRGINIA, THERE IS A SANTA CLAUS 作者名:ニューヨーク・サン紙社説(担当:フランシス・ファーセラス・チャーチ) The New York Sun (written by Francis Pharcellus Church) 翻訳者名:大久保ゆう
編集者さま: 私は8歳です。 私の何人かの友だちはサンタクロースはいないと言います。 パパは「サン新聞が言うことならそのとおりだ」と言います。 どうか私に本当のことを教えてください; サンタクロースはいるのでしょうか?
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♥ | 小坂部伝説 |
| 作者名:岡本綺堂
綺堂先生が戯曲・小坂部姫を書くに当たって、「播州姫路の小坂部(長壁姫、小刑部姫、刑部姫)」について調査したちょっとしたことについての小まとめ的な文章というか、エッセイ・随筆というか。
因みにオサカベ姫とは、姫路城の天守閣に隠れ住むといわれる「妖怪」あるいは「守護神」。 蝙蝠を従えた老姫、または、十二単を着た気高い女性の姿をしていると伝えられる。 「姫の顔を見た者は即座に命を失う」「800匹の眷属を操り、人の心を読み、人の心をもてあそぶ」「住処に人が立ち入ると、身の丈1丈(約3メートル)に巨大化して追い払う」「年に一度だけ姫路城主と会い、城の運命を告げる」等の伝承がある。 正体は、一般には老いた狐とされる。別の説では、井上内親王(717〜775年。光仁天皇の廃后)が義理の息子・他部親王(光仁天皇の廃太子。桓武天皇の異腹弟)との間に産んだ不義の子、伏見天皇(1265〜1317年)が寵愛した女房の霊、蛇神(姫路では蛇をサカフと呼ぶことがあるため)、姫路城のある姫山の神、刑部氏の氏神「刑部明神」と「稲荷神」とが習合されたもの、等。猪苗代城の妖姫・亀姫の姉という「設定」もある。(この辺は天守物語参照)
綺堂先生の調査では「刑部姫は高師直(不詳〜1351年。塩冶高貞の奥さんに横恋慕して、吉田兼好に恋文を代筆させたけど、結局振られて、腹いせに高貞に謀反の罪を着せちゃったひと。この辺のエピが『仮名手本忠臣蔵』に利用されている)の娘」という説が出てきたので、長編小説小坂部姫もその設定を生かしたとのこと。 (2012/02/02(Thu) 15:01)
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♥ | タウンゼント版イソップ寓話集について |
| イソップ寓話の標準英語版の翻訳者 ジョージ・ファイラー・タウンゼント師と、タウンゼント版イソップ寓話について、ウィキペディアの記述と、和訳をなさったhanama氏のウェブサイトの記述を参考に、簡易にまとめる。(2010/04/07(Wed) 14:19)
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♥ | 県歌 信濃の国 |
| 作家名:淺井洌
1899(明治32)年に創作された唱歌「信濃國」は、残念ながら広く歌われることがなかった。 旧版の作曲者である依田の後任の北村季晴(1872年〜1930年)は、浅井の「信濃國」を知り、これに新たに曲を着けることを申し出た。 翌1900(明治33)年4月、完成した曲は師範学校の生徒たちに愛され、寄宿舎中で歌われるようになった。 新しい「信濃の国」は、同年10月、師範学校の運動会で女子部生徒の遊戯用として発表された。 (このとき元の「信濃國」での表記を一部改めたものが、このファイルに書かれている作品) やがて、師範学校の学生達は教師なって県下各地に散り、最新の“音楽教材として「信濃の国」を赴任校に持込んだ。 こうして「信濃の国」は県内に普及し、事実上の県歌として位置付けられた。
そして時は流れて1968年5月20日。「信濃の国」は正式に長野県歌と制定されたのだった。 (2010/01/29(Fri) 16:49)
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♥ | 信濃國 |
| 作家名:淺井洌 初出: 「信濃教育会雑誌 第一五三号」1899(明治32)年6月号
1898(明治31)年10月に信濃教育会(当時の会長・正木直太郎は旧上田藩士族出身)が組織した小学校唱歌教授細目取調委員会の委嘱により、長野県師範学校(現信州大学教育学部)教諭・浅井洌(1849年〜1938年 旧松本藩士族出身)が作詞。詩が完成したのは1899(明治32)年3月。 当初は浅井の同僚であった依田弁之助によって作曲された。 これは「信濃教育雑誌」(1899年6月発行)に掲載されたが、残念ながらこの時点では普及しなかった。
ところで作詞家の浅井洌先生の名前の読みなんだけど、「れつ」としている文献と「きよし」としている文献があるんだが、どっちが正しいのだろう? (2010/01/29(Fri) 16:48)
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♥ | 口語旧約聖書 ルツ記 |
| 口語訳による、旧約聖書の一書「ルツ記」
初出:『口語訳聖書』日本聖書協会 1955(昭和30)年 日本聖書協会の口語訳聖書は学問としての近代聖書批評学(高等批評)の見地からの翻訳を行った物であるため、分かり易くはあるが、神やキリストの権威をおとしめているという信仰的な反発もある。 このファイルは著作権の切れた古い版の内容を元にしているため、現在の版では「修正」や「言い換え」の行われた差別的な用語が含まれていいます。 あらかじめご了承下さい。 あらすじ 士師が国を治めていた時代のこと。 ユダ王国のベツレヘムを襲った飢饉を避けて外国モアブに赴いた家族があった。 父エリメレク、母ナオミ、二人の息子マロンとキリオン。 エリメレクは彼の地で亡くなったが、息子たちはそれぞれ現地の女性ルツとオルパとを妻に迎える。 ところがほどなく息子たちも、子供を作る前に死んでしまう。
その頃、ベツレヘムの飢饉が収まったと聞いたナオミは帰国を決め、二人の嫁に実家へ帰るよう勧める。 初めは拒絶した彼女たちであったが、やがてオルパは姑の言葉を受け入れて実家に戻る事を決意。 しかしルツは何があってもナオミについて行くと言って聞かない。 ナオミはルツと共にベツレヘムへ戻ることとなる。
帰国した物の、亡きエリメレクに所有権のある耕作地は耕す者が居なかったため荒れていて、今期の収穫は得られない。 そこでルツは貧者の権利である「落ち穂拾い」で食料を得ようと出かけ、偶然エリメレクの縁戚に当たるボアズの麦畑で働くこととなった。
異邦人のルツが知る人もいない外国で姑を助けて働いていることに感心したボアズは、彼女が落ち穂を拾いやすくするように便宜を図った上、昼食を振る舞った。
日が暮れて家に戻ったルツからボアズの話を聞いたナオミは、ボアズがエリメレクの財産を相続する権利を持つ者だと気付く。 そしてナオミはルツにレビラト婚※の風習に従って、彼と結婚することを勧める。 (※嫂婚:兄が子孫を残さずに死んだ場合、「兄の子孫を絶やさないようにする事」を目的として、弟や親戚の者が兄嫁の婿となる婚姻)
ルツは姑の言葉に従って、収穫の祝いの夜にボアズの寝所に行く。 ルツに気付いたボアズは、彼女の希望を聞き入れようと言いながらも 「自分よりも相続権の強い親戚がいるから、彼が望むならそうせよ。 ヱホバは活く(大丈夫。神様はちゃんと見ていてくださる) その親戚が相続を断ったら私が相続をしよう。」 と言って、ルツに指一本触れないばかりか、姑への土産物を持たせて帰した。
その後ボアズは町の大門で親戚の某を呼び止め、さらに町の長老10人を証人として呼ぶ。 そしてその場で、某にエリメレクの土地を相続するように勧める。 初めは乗り気だった某だったが、条件としてエリメレクの長子マロンの未亡人である、外国人のルツとレビラト婚をしなければならないと聞くや、権利を放棄する。 (レビラト婚では生まれた子供は自分の子孫にならず、妻の前の夫の子孫と言うことになるので、自分の家名は途絶えることになる)
こうしてボアズはルツを妻にすることを証人たちに認めさせることに成功する。
無事に結婚したルツとボアズの間には子供が生まれ、オベデ(仕える者/礼拝する者)と名付けられる。
このオベデからエッサイ(ヱサイ)が生まれ、エッサイから後に王となるダビデが生まれた。 (2009/10/28(Wed) 22:25)
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♥ | 舊約聖書 : 路得《ルツ》記 |
| 文語体(旧字旧仮名:正仮名遣)による、旧約聖書の一書「ルツ記」
初出:文語訳(明治元訳)舊約聖書 1887(明治20)年 明治元訳聖書は、イギリス国教会の欽定訳聖書を大いに参考にして翻訳されたと言われている。 翻訳作業にはヘボン式ローマ字の創始者ジェームス・カーティス・ヘップバーン(ジェームス・カーティス・ヘボン)などが関わっている。あらすじ 士師が国を治めていた時代のこと。 ユダ王国のベツレヘムを襲った飢饉を避けて外国モアブに赴いた家族があった。 父エリメレク、母ナオミ、二人の息子マロンとキリオン。 エリメレクは彼の地で亡くなったが、息子たちはそれぞれ現地の女性ルツとオルパとを妻に迎える。 ところがほどなく息子たちも、子供を作る前に死んでしまう。
その頃、ベツレヘムの飢饉が収まったと聞いたナオミは帰国を決め、二人の嫁に実家へ帰るよう勧める。 初めは拒絶した彼女たちであったが、やがてオルパは姑の言葉を受け入れて実家に戻る事を決意。 しかしルツは何があってもナオミについて行くと言って聞かない。 ナオミはルツと共にベツレヘムへ戻ることとなる。
帰国した物の、亡きエリメレクに所有権のある耕作地は耕す者が居なかったため荒れていて、今期の収穫は得られない。 そこでルツは貧者の権利である「落ち穂拾い」で食料を得ようと出かけ、偶然エリメレクの縁戚に当たるボアズの麦畑で働くこととなった。
異邦人のルツが知る人もいない外国で姑を助けて働いていることに感心したボアズは、彼女が落ち穂を拾いやすくするように便宜を図った上、昼食を振る舞った。
日が暮れて家に戻ったルツからボアズの話を聞いたナオミは、ボアズがエリメレクの財産を相続する権利を持つ者だと気付く。 そしてナオミはルツにレビラト婚※の風習に従って、彼と結婚することを勧める。 (※嫂婚:兄が子孫を残さずに死んだ場合、「兄の子孫を絶やさないようにする事」を目的として、弟や親戚の者が兄嫁の婿となる婚姻)
ルツは姑の言葉に従って、収穫の祝いの夜にボアズの寝所に行く。 ルツに気付いたボアズは、彼女の希望を聞き入れようと言いながらも 「自分よりも相続権の強い親戚がいるから、彼が望むならそうせよ。 ヱホバは活く(大丈夫。神様はちゃんと見ていてくださる) その親戚が相続を断ったら私が相続をしよう。」 と言って、ルツに指一本触れないばかりか、姑への土産物を持たせて帰した。
その後ボアズは町の大門で親戚の某を呼び止め、さらに町の長老10人を証人として呼ぶ。 そしてその場で、某にエリメレクの土地を相続するように勧める。 初めは乗り気だった某だったが、条件としてエリメレクの長子マロンの未亡人である、外国人のルツとレビラト婚をしなければならないと聞くや、権利を放棄する。 (レビラト婚では生まれた子供は自分の子孫にならず、妻の前の夫の子孫と言うことになるので、自分の家名は途絶えることになる)
こうしてボアズはルツを妻にすることを証人たちに認めさせることに成功する。
無事に結婚したルツとボアズの間には子供が生まれ、オベデ(仕える者/礼拝する者)と名付けられる。
このオベデからエッサイ(ヱサイ)が生まれ、エッサイから後に王となるダビデが生まれた。 (2009/10/28(Wed) 22:12)
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♥ | 通俗伊蘇普物語(通俗イソップ物語):例言 |
| 作家名:無盡藏書齋主人(新字体表記:無尽蔵書斎主人)(渡部温/渡邊一朗)
Aesop's Fablesを翻訳した通俗伊蘇普物語を発行するに当たっての前書きと凡例。
冒頭部分を(いい加減に)現代語訳するとこんな感じ。
この度私が翻訳したイソップ氏の寓話は婦女子に道徳を説く近道で、たとえ田舎の女子供であっても、その内容が分かり易い事に関しては、我が国の落語のようなものです。 ですからこの度も翻訳に使う言葉もわかりやすいことを第一として、原文の意味に従いながらも、世俗で使う普通の言葉を使って書きました。 これを読む人がだたこのお話の大切なこと、意味の深いことに注意して、尚また一層分かり易く解釈して、子供たちへ語ってくれることが、私の願いです。 凡例 (補)は翻訳者による補足。 (經)は経済説略(Easy Lessons on Money Matters リチャード・ホエートリー 1787-1863)の中にある説話からの引用。 (英数字)はトマス・ジェームスによる原著でのナンバリング。 (2009/10/20(Tue) 20:09)
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♥ | 通俗伊蘇普物語(通俗イソップ物語):伊蘇普小傳 |
| 作家名:無盡藏書齋主人(新字体表記:無尽蔵書斎主人)(渡部温/渡邊一朗)
通俗伊蘇普物語翻訳者である渡部温によるイソップの人物紹介。
適当に現代語訳するとこんな内容
ギリシアの賢人イソップは、紀元前5〜600年ぐらいに、小アジアのヒリシアという所に生まれた人です。 この人は若い頃にはとても不幸で、ギリシアのあるアテネ市民に奴隷として売られたあと、小アジアのサモス島のサンジュス氏、またヤドモン氏にと転売され、何年も過ごした後に、ある功労を立てたことによってようやく自分自身を買う事を許され、初めて自由になりました。 そこでイソップは各地を巡る事を志し、寓話を持って王侯に忠告を与え、市民に語って聞かせました。 そしてその才能の豊かなことを世に知られるようになり、後世に寓話譬諭(たとえばなし)の高祖と称せられるようになったのです。 さてこのころ小アジアのリジアという国は世界に並ぶもののない大国でしたが、王様のケシュルスがイソップの高名を聞きつけて、礼を尽くして宮殿に招き、その才能を試し、「実に天下に並ぶものがないほどすぐれた賢者である」として何かにつけて彼の意見を聞いていました。 そのためイソップはしばらくこの国に留まっていたのですが、ある時王様の密命でアルヒへの使者となりました。 ところがこのことに国民が妬みを買って、とうとう悪者に捕まってしまい、アルヒ山の山頂から深い谷底へ投げ落とされて、悲しく生涯を終えたと伝えられています。
イソップの生涯はこのようなものです。 詳しいところは色々本を当たって調べたのですが、はっきりとは解りません。 今のところはこのような大雑把な説明をすることしかできませんが、この本を読む人にイソップの尊さその思想のすばらしさを少しでも伝えたいと、ここに書きました。 (2009/10/20(Tue) 19:20)
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♥ | フランケンシュタイン 著者について |
| 宍戸儀一 著 翻訳者によるフランケンシュタインの著者「マリー・ウォルストンクラフト・シェリー(メアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー:Mary Wollstonecraft Godwin Shelley : 1797年8月30日 - 1851年2月1日)」についての解説。 初出:「フランケンシュタイン」日本出版協同 1953(昭和28)年8月20日初版発行 (2009/09/07(Mon) 16:13)
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♥ | フランケンシュタイン はしがき |
| 宍戸儀一 著 翻訳者によるフランケンシュタインの解説。 一九五三年六月二十五日の日付がある。 初出:「フランケンシュタイン」日本出版協同 1953(昭和28)年8月20日初版発行 (2009/09/07(Mon) 16:00)
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♥ | 雪の武石峠 |
| 作家名:別所 梅之助
松本市と武石村(現・上田市武石)の間にある美ヶ原の武石峠への登山の紀行文。 登頂目的と言うよりも、登って周囲の山々を眺めることが目的の冬山登山だったもよう。 初出『山岳』第10年第1号(1915年(大正4年)9月)
べっしょ うめのすけ 1871〜1945 東京出身。東京英和学校(青山学院の前身)英語神学科卒業。 青山学院講師、日本キリスト教団教師になる。聖書を研究、人文地理学者であり、青山学院山岳部の初代部長になった。明治42年、東北の吾妻連峰に初山行、以後各地の山々を訪ねる。著書に『霧の王国』『山のしづく』のほか『聖書植物考』などがある。『世界山岳百科事典』(山と溪谷社/1971)より (2009/08/18(Tue) 14:31)
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♥ | 〔雨ニモマケズ〕 |
| 作家名:宮沢賢治
病床にあった宮澤賢治が、自身の目標、希望、願望を、愛用の黒手帳に書き留めたメモ。 冒頭に11.3の数字が書かれているため、賢治がこの手帳を使っていた昭和6年(1931年)11月3日に書かれたものと推察される。 この時期、賢治は肺炎などのため故郷に戻り、闘病中だった。 24節目は一般的に「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」とされているが、メモに書かれているものを正確に表記すれば「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」となる。 この一文は 「日照り(旱魃)の時は」と表したかったものの誤記である とするのが通説だが、 「日取り(日雇い労働)の時は」の意であり、誤記ではない という説もある。 (「ヒドリ」は方言で猛暑・高熱を意味するとして、「ヒドリ」という音のまま「旱魃」を表しているという説もある) (2008/10/09(Thu) 11:10)
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