■ 本丸跡から西櫓[別窓]
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登録: 2007/11/16(Fri) 16:39 更新: 2007/11/16(Fri) 16:39
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上田城址公園内。本丸跡の広場のから西櫓を見る。
関ヶ原以後徹底的に破壊された上田城は、真田信之公が松代へ移封した後に藩主となった仙石忠政公により再築された。 しかし本丸は再建されず、隅櫓が七棟と櫓門が二棟という体裁でのちょっぴり中途半端な形のお城だった。 このまま廃藩置県を迎え廃城となった上田城は、隅櫓一棟(現在の西櫓)を残して取り壊される。 取り壊された櫓の内、二棟は民間に払い下げられ、遊郭の妓楼として使われていた。 後に、市民の買い戻し運動・寄付集めが功を奏し、昭和18年から24年にかけて移築・再建されて現在に至る。
つまり、上田城においては、この西櫓のみが江戸時代のままに残っている建物である、と。 |
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■ 黄色と赤と(本丸跡)[別窓]
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登録: 2007/11/16(Fri) 16:27 更新: 2009/05/31(Sun) 19:26
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上田城址公園内。本丸跡の広場の紅葉。
上田城は慶長五(1600)年の第二次上田合戦の後、徳川方に徹底的に破壊された。 その後、真田信之公が上田藩主として入城するが、修繕の許可が幕府より下ることはなかった。 信之公松代へ移封の後に藩主となった仙石忠政公が再築を始めたものの、公の逝去により中断。 その後、松平公時代になっても本丸の再建は行われなかった。 廃藩置県で廃城となった上田城の土地は、明治7年(1874年)に民間に払い下げられる。 本丸周辺を買い取った丸山平八郎氏は、明治12年に本丸跡南側の土地を松平神社(現眞田神社)用地として、明治26年(1893年)に残りの所有地も遊園地用として市に寄付。
一時期本丸跡には民家(1970年代にはお土産や軽食を商っていた店があったと記憶するが、定かで無し)が立っていたが、今は撤去されており、他より一段高い平らなスペースが往時をしのばせるのみとなっている。 |
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