♥ | スランプ New! |
| 作家名:夢野久作
夢野先生、締め切り打っ千切って逃走か!?
スランプに陥ったという作家先生が原稿依頼主の出版社に宛てた言い訳のお手紙。 作家は「スランプだ、ペンが一寸も動かない」といいながら「スランプに関する事だけはスラスラと書けるというのは何という皮肉」と頭を抱える。
底本である「夢野久作全集11」(筑摩書房)は 評論随筆を集めた巻であるということなので、コレはもしかして夢野先生の本音なのかも? なお、文中「宛先」となっているぷろふいる社は実在した出版社で、1933年から1937年まで探偵小説専門誌「ぷろふいる」を発行していた。 (2015/10/10(Sat) 21:23)
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♥ | 芸術としての探偵小説 |
| 作家名:野村胡堂
銭形平次捕物控でおなじみの捕り物作家である胡堂先生による、1949年(昭和24年)宝石社刊行探偵小説専門雑誌『宝石』「百万円懸賞探偵小説コンクールC級(短篇部門)」の選評。 コンクール入選作品が発表されたのは「第3巻1号 通巻7号(昭和25年2月20日発行)」で、胡堂先生初め五名の先生方による「百万円懸賞当選作をめぐって」が掲載されたのは「第3巻2号 通巻8号(昭和25年4月20日発行)」 なお、文中上げられたタイトル「かむなぎうた」は日影丈吉の作で、二席。「黄色の輪」は川島郁夫の作で同じく二席。「『罪ふかき死』の構図」は土屋隆夫で一席(一等)の作品。 (参考資料:海外ミステリ総合データベース・ミスダス「別冊宝石総目録」) (2014/01/30(Thu) 22:00)
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♥ | 捕物小説のむずかしさ |
| 作家名:野村胡堂
銭形平次捕物控でおなじみの捕り物作家である胡堂先生が、捕物小説に関して書いた短文エッセー。
私は草深い奥州の百姓の子として生れた。私の少年時代には、家族のうちにも、天保安政生れの老人があり、南部藩の百姓一揆の恐ろしさを身を以て経験した人も少くはなかった。従って私は侍階級の横暴と驕慢をいやが上にも聴かされて育ち、筆を執るようになってからは、侍階級の歪められた道徳を、非難し揶揄することに興味を持っていたらしい。 江戸は遠くになりにけり……。 (2014/01/30(Thu) 21:32)
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♥ | 探偵小説と音楽 |
| 作家名:野村胡堂
銭形平次捕物控でおなじみの捕り物作家であり、音楽評論家でもある胡堂先生が、探偵(推理)小説と音楽に関して書いた短文エッセー。
これは他の場合にも書いたことであるが、小説の中に扱われた音楽の知識が、どんなに間違って居るかを、刻明に集めた英文の著書があるということだが、不思議なことに日本の小説に現われた、音楽上の誤謬と出鱈目については、まだ曾て指摘した人は無いからだ。
両方の知識を持つ胡堂先生だからこその一文。 (2014/01/30(Thu) 17:40)
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♥ | 文章を作る人々の根本用意 |
| 作家名:小川未明
小川 未明 (おがわ みめい/びめい、1882年(明治15年)4月7日 - 1961年(昭和36年)5月11日)は、小説家・児童文学作家。 本名は小川 健作(おがわ けんさく)。 「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれる。(代表的作品は「赤い蝋燭と人魚」かな) 作品は清潔なものが多く、1916年(大正5年)に「遊蕩文学(人間の遊蕩生活に纏絡する事実と感情とに重きを置いて、人性の本能的方面に於ける放縦淫逸なる暗黒面を主題とし、好んで荒色耽酒の惑溺境を描出せんとするものby評論家・赤木桁平)」論争が起きた時、遊蕩を描かない小説家は夏目漱石と小川未明くらいだと言われた。
なお、短編作品を得意としていたが、童話作家・坪田譲治によれば「非常に短気な性格」だったとかで、未明の童話がほとんど短編なのは発表の場が雑誌だったことによるが、短気な性格によるところも大きい、とのこと。
そんな(作風が)真面目な未明先生の創作論。 われ/\が、何か思うところ、感ずるところを書きたいと望むことがある。そこで、先ずわれ/\は、最初に自分の感じを抽き出す文字を、あれこれと選択しつゝ紙に書いてみる。それが自分の感じとぴったり合しつゝ書き進むるようならば、もう文章のある域まで達したのであるが、これと反対に思うところ感ずるところが、一字一行にも骨が折れてどうにも書き進められない場合がある。徒らに苦んだ果は、自分には所謂文章が書けないのではないかと絶望したような心持にさえなる。 もし諸君の内に、こういう場合にぶつかった人があれば、余はこう注意したい。 まず筆をおいて、単に文章を書こうとしたのか、それとも本当に書きたい思いや心持があって書こうとしたのか、そのいずれかを静かに考え返してみるがいい。そしてもし心の内に、美しい文字や流行の文句を使ってみたいから書こうとしたのだと心づいたら、それは一行の文章を成さなかったのが至当なのである。その人はそういう文章を作ろうとしたことに対して、まず愧じることを悟らねばならない。
(2012/10/03(Wed) 19:03)
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♥ | 文芸は進化するか、その他 |
| 作家名:平林初之輔 初出:「新潮 第二七年第六号」1930(昭和5)年6月号
ごく短い文学論のようなもの。以下の六編からなる。
一 文芸は進化するか? 二 文学作品と広告 三 課題小説 四 小説の危機 五 ヴァン・ダインの探偵小説論 六 新作家輩出時代
五章にて探偵小説を書くときの二十則に言及。
平林初之輔(ひらばやし はつのすけ、1892年11月8日 - 1931年6月15日) 作家・推理作家・文芸評論家・プロレタリア文学運動の理論家。 ヴァン=ダインなどの作品を翻訳して日本に紹介した。 (2010/12/14(Tue) 17:59)
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♥ | 意慾的創作文章の形式と方法 |
| 作家名:坂口安吾
安吾先生による、文章読本的な短めの評論。 小説の文章を他の文章から区別する特徴は、小説のもつ独特の文章ではない。なぜなら小説に独特な文章といふものは存在しないからである。 (中略) 要するに小説は明快適切でなければならないものであるが、小説の主体を明快適切ならしめるためには、時として各個の文章は晦渋化を必要されることもありうるのだ。そして描写に故意の歪みを要するところに――換言すれば、ある角度を通して眺め、表はすところに――小説の文章の特殊性もあるのである。 なぜなら、小説は事体をありのままに説明することではない。小説は描かれた作品のほかに別の実体があるわけのものではない。小説はそれ自体が創造された実体だからである。そこから小説の文章の特殊性も生まれてくる。 (中略) 作家が全てを語ることは不可能である。我々の生活を満してゐる無数のつまらぬ出来事を一々列挙するとせば、毎日少くも一巻を要すであらう。 そこで選択が必要となる。そして、これだけの理由でも「全き真実」「全き写真」といふことは意味をなさなくなるのである。 (中略) 作家の精神はありのままに事物を写さうとする白紙ではないのである。複雑――むしろ一生の歴史と、それを以てして尚解き得なかつた幾多の迷路さへ含んでゐる。そしてこの尨大な複雑が、いはば一つの意力となつて凝縮したところに漸く作家の出発があるのである。言葉を芸術ならしむるものは、言葉でもなく知識でもなく、一に精神によるものであるが、併し精神を精神として論ずることは芸術を説明する鍵とならない。 (中略) 勝れた作家は各々の角度、各々の通路を持つてゐる。通路は山と海ほどの激しい相違があるけれども到達する処は等しい。同じ人物をピエルとシャートフの相違で描いても、要するに全貌を現したあとでは同じものになる。モオパッサンはピエルの方法でしかシャートフが描けないのである。 (中略) 今我々は一人物の外貌を描写しようとしてゐる。特徴のある顔、甚だ表情のある手、それよりも短い身長と、しかも奇妙にゴツゴツした動きが特に目をひき易い。しかも猫のやうな声、時々まるで変化する眼の具合、これらを精密に描いたなら、読者はその外貌を読んだだけで、この男の性格や心の底を見抜くことが出来るほどだ。そこで我々はこの人物の外貌を精細に描写したいばかりに、情熱でウズウズしてゐる。併し長い紙数を費して一気にこの男の外貌の全部を描いてゐたら、読者は却つて退屈を感じ、そのために混雑した不明瞭な印象を受けるばかりで、大切な核心を読み逃してしまふであらう。 (中略) 小説の文章は書くべき事柄を完膚なく書きつくさねばならないのである。即ち、作家の角度から選択され一旦書くべく算出された事柄は、あくまで完膚なく書きつくさねばならないのだ。たまたま文章の調子に迷ひ右を左と書きつくらうやうな過ちは犯してならないことである。 (後略)
初出:「日本現代文章講座 ※(II)―方法篇」厚生閣 1934(昭和9)年10月13日発行 (2010/11/04(Thu) 20:15)
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♥ | 小説作法 |
| 作家名:永井荷風
永井荷風先生が「税金の支払い分の稿料のために」と冗談めかしつつ書いた小説の書き方。 短文だが、鋭い。初学者もし小説にでも書いて見たらばと思ひつく事ありたらばまづその思ふがままにすらすらと書いて見るがよし。しかして後添刪推敲してまづ短篇小説十篇長篇小説二篇ほどは小手調筆ならしと思ひて公にする勿れ。その中自分にても一番よしと思ふものを取り丁寧に清書してもし私淑する先輩あらばつてを求めてその人のもとに至り教を乞ふべし。菓子折なぞは持参するに及ばず。唯草稿を丁寧に清書して教を乞ふ事礼儀の第一と心得べし。小説のことなれば悉く楷書にて書くにも及ばじ、草行の書体を交ふるも苦しからねど好加減の崩し方は以ての外なり。疑しき所は『草訣弁疑』等の書について自ら正せ。 (2010/05/10(Mon) 20:35)
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♥ | The Elements of Style |
| 作家名:ウィリアム・ストランク・ジュニア 翻訳者:森田尚
英文文章読本の古典。 スティーブン・キングが自著(小説作法/On Writing Welln)の前書きの中で、この本を絶賛しているそうな。
初版は1918年に書かれ、翌19年に発表された。当初は、大学教授である作者の教え子たちのためにごく個人的な小冊子として製作さたものであり、学内では「The little book」と呼ばれていた。 1959年にE.B.ホワイトによって改訂されて、約200万部のベストセラーとなる。 1959年以降、二人の共著として三度の改訂版が出され、累計1000万部を上回っている。 因みにこのファイルはホワイトの筆の入っていない一番最初の版(パブリックドメイン)
ウィリアム・ストランク(シュトゥルンク)・ジュニア(William Strunk Jr. 1869年7月1日 - 1946年9月26日) コーネル大学(Cornell University)英語教授。
E.B.ホワイト(エルウィン ブルックス ホワイト:Elwyn Brooks White 1899年7月11日 -- 1985年10月1日) ニューヨーカー誌の記者。作家、エッセイスト、コラムニスト。 スチュアートの大ぼうけん(スチュアート・リトル)/シャーロットのおくりもの/白鳥のトランペットなどの児童文学が有名。 70年、ローラ・インガルス・ワイルダー賞受賞。78年にはピューリッツァー賞特別賞を受賞。
ホワイトはストランクの教え子で、彼の講義を受けたことがある。 ホワイト氏曰く、ストランク先生は「不要な語は削れ」というのが信条。 その日の講義内容は文章の簡潔さについて。 講義の中でも兎に角「不要な語」を削って削って……削りすぎて授業の時間が余っちゃった。 しかし、先生は画期的な方法でこの時間あまり問題を解決したそうな。 先生は机の上に身を乗り出し、 「ルール17。不要な語は削れ! 不要な語は削れ! 不要な語は削れ!」 これで時間が三倍になる、と。 (2010/03/18(Thu) 17:04)
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♥ | Twenty rules for writing detective stories |
| 作家名:S・S・ヴァン=ダイン
探偵小説を書くときの二十則の英語原文。 Gaslightにて公開されているものを、レイアウトを一部変更して作製。 S・S・ヴァン=ダイン(S. S. Van Dine)、本名ウィラード・ハンティントン・ライト(Willard Huntington Wright)は、米国の推理作家・美術評論家。(1888年10月15日 - 1939年4月11日) 探偵小説家としての代表作は僧正殺人事件、グリーン家殺人事件といった、素人名探偵ファイロ・ヴァンスが活躍するシリーズなど。 「二十則」は、彼が自らの創作のための決意もかねて、アンソロジー『世界短編傑作集』序文に「推理小説を書く上での鉄則」として記したもの。 日本では作者の名を冠して「ヴァン・ダインの二十則」とも呼ばれている。 日本語訳はこちらで。要約はこの辺り(文字色と背景色を同じにしてありますので、お読みになる場合は反転表示で)(2010/03/18(Thu) 13:53)
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♥ | 童話における物語性の喪失(どうわにおけるものがたりせいのそうしつ) |
| 作家名:新美南吉
おとなの文学が物語性を失ったとき、文学家族の一員である児童文学も、見よう見まねで堕落したのである。 (中略) しかし私には、そもそも実演童話と創作童話が全然別種なものでなければならぬ理由が肯けないのである。何故口で語られる童話と紙に印刷される童話が全然別種なものとされねばならぬのか。私には紙の童話も口の童話も同じジャンルだと思われる。紙で読んで面白くない童話は口から聞かされても面白くない。口から聞かされてつまらない童話は紙で読んでもつまらなくないはずがない。このことは童話ばかりではなく、大人の小説についてもいえると思う。小説が口から離れて紙に移ったところから小説の堕落がはじまるのである。それが嘘だというなら、例えば西鶴やトルストイや宇野浩二などのすぐれた小説を読んで見るとよろしい。そこにはあなた方は作家の手からでなく、作家の口から出て来る息吹きのこもった言葉をきくであろう。 初出:昭和16年11月26日(早稲田大学新聞) (2009/10/06(Tue) 17:31)
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♥ | 愛読した本と作家から |
| 作家名:黒島傳治
黒島 伝治による、ごく短い随筆。 いろ/\なものを読んで忘れ、また、読んで忘れ、しょっちゅう、それを繰りかえして、自分の身についたものは、その中の、何十分の一にしかあたらない。僕はそんな気がしている。がそれは当然らしい。中には、毒になるものがあるし、また、毒にも薬にもならない、なんにも、役立たないものもある。 空腹のとき、肉や刺身を食うと、それが直ちに、自分の血となり肉となるような感じがする。読んでそういう感じを覚える作家や、本は滅多にないものだ。
(中略)
今は小説を書くために、小説を書いている人間はいくらでもいるが、本当に、ペンをとってブルジョアを叩きつぶす意気を持ってかゝっている者は、五指を屈するにも足りない。
(後略) 黒島 伝治(くろしま でんじ、1898年12月12日 - 1943年10月17日)
日本のプロレタリアート小説家。(労働階級の中でも特に農民をテーマとした作品が多い) 香川県小豆郡苗羽村(現在の小豆島町)生まれ。 苦学しながら学資をためて、早稲田大学予科に入る。 在学中に徴兵され、シベリア出兵に看護卒として従軍。 胸を患い帰国の後、『文芸戦線』同人となり農民小説、反戦小説を執筆。 1930年、済南事件に材料をとった長編『武装せる市街』が、発禁処分を受ける。 帰郷し、執筆活動からは遠ざかっていたが、特高警察の監視下におかれていた。 1943年10月17日、小豆島で病死。 未亡人は遺稿・書簡の類を焼却してしまったが、軍務についていた頃の日記は消滅をまぬかれ、戦後『軍隊日記』として刊行された。 (2009/07/15(Wed) 13:16)
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♥ | 私の小説 |
| 作家名:坂口安吾
自分の小説について何か書けと言われた安吾先生。 依頼主の編集者に自分が「情痴作家」と呼ばれていると聞いてびっくりしつつ 「正直なところ、私は人の評判を全然気にかけてゐない。情痴作家、エロ作家、なんとでも言ふがいいのである。読む方の勝手だ。かう読め、ああ読めと、一々指図のできるものではないのだ」 「私が情痴作家だといふ。ところが、案外、さう読んだ読者の方が情痴読者かも知れぬ。読者は私を情痴作者だといふし、私は読者を情痴読者だといふ。別に法廷へ持ちだすまでのことはない。裁判官はちやんとゐる。歴史だ」 と開き直る。そして自分自身を 「猪八戒と子路の合ひの子なので、猪八戒の勢力範囲が旺勢」 「私は然し、実際、私は猪八戒だといふところが正当な評価だらうと考へてゐるのだ。猪八戒はヘタくそな忍術を使ふ。(中略)このできそこなひの忍術が、つまり私の小説だ。私もまた、できそこなひの忍術使ひなのである」 と評するのだった。
初出:「夕刊新大阪 第四六九号〜四七一号」1947(昭和22)年5月26日〜28日 (2009/03/03(Tue) 17:18)
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♥ | 劇作を志す若い人々に |
| 作者:岸田國士
岸田国士によるエッセイ。 初出: 「若草 第四巻第五号」1928(昭和3)年5月1日
(前略)そこで私は、世の若き劇作家志望者諸君(並に諸嬢)に向つて、次のことを勧告して置きたいと思ひます。 第一に、古今東西の戯曲を読み、またはその舞台を観る際に、その戯曲の思想と形式、又は内容と表現を分析的に考察、批判することも肝要ですが、それ以上にその作品の魅力が、 art と mtier との如何なる交錯融合によつて生れるかを吟味する用意が必要だと思ひます。 (中略) 第二に、いろ/\な戯曲をその出来栄え、即ち、それ自身としての価値によつて批判すると同時に、その作品の内容と形態が作り出すある「特殊性」について、文学史的進化の法則と過程とを発見するやうに努めなくてはなりません。 (中略) 第三に、私は、「舞台を透して戯曲を見るな、人生を透して戯曲を観よ」と云ふ注意を守りたいと思ふ。 (中略) 御話はまあ、これくらゐにして置きませう。原稿紙十枚は読むと十分かゝる。十分の講釈で「劇作家になる法」を会得する人があつたら、私はその人について「劇作家になる法」を学ぶでせう。 アート(art:美術・技術)、メチエ(mtier:仕事・技法)、ドラマツルギー(〔独〕Dramaturgie:作劇法・演劇論) (2009/02/18(Wed) 17:25)
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♥ | 独断三幅対 |
| 作者:岸田國士
岸田国士によるごく短いエッセイ。 初出: 「時事新報」1925(大正14)年5月14、15日
誰も作家の人物評をしてはならぬと云つた覚えはない。 憎んだり軽蔑したりしてゐたいなら、その作家が、自分には興味の有つてない、或は興味はもてゝも不満がある作品を発表したくらゐで、何もわざ/\、傍若無人な評言を加へる必要はあるまい。人物評もいゝが、立ち入り過ぎた「人格論」などは慎んだ方がいゝと云つたまでゞある。作品をさういふ立場からのみ見ようとする傾向を僕は好まないと云つたゞけである。 初出時「独断三幅対」の題の元に、小題「一、フアンテジイ」(13日)「一、フアンテジイ(つゞき)」(14日)「二、めい/\の表現」(14日)「三、批評について」(15 日)と連載された。 後に、「言葉言葉言葉(改造社:1926(大正15)年6月20日初版)」収録時に「一、フアンテジイ」「一、フアンテジイ(つゞき)」が「ファンテジイ」の題のもとに収録された。 「ファンテジイ」分は別ファイル(表題:ファンテジイ)に。(2009/02/18(Wed) 17:06)
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♥ | ファンテジイ |
| 作者:岸田國士
岸田国士によるごく短い幻想文学論。ファンテジイが単なる空想と異る所以は、作者の眼が常に「夢」から醒めてゐることである。 初出: 「時事新報」1925(大正14)年5月13、14日 初出時「独断三幅対」の題の元に、小題「一、フアンテジイ」(13日)「一、フアンテジイ(つゞき)」(14日)「二、めい/\の表現」(14日)「三、批評について」(15 日)と連載された。 後に、「言葉言葉言葉(改造社:1926(大正15)年6月20日初版)」収録時に「一、フアンテジイ」「一、フアンテジイ(つゞき)」が「ファンテジイ」の題のもとに収録された。 「二、めい/\の表現」、「三、批評について」は別ファイル(表題:独断三幅対)に。(2009/02/18(Wed) 16:35)
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♥ | 小説総論 |
| 作者:二葉亭四迷
坪内逍遙が「小説神髄」で 「小説で大切なことはまず人情を描くことで、次に世の中の様子や風俗の描写である」 と論じ、客観描写につとめるべきだと述べ、心理的写実主義を主張したことを受け発表した、ごく短い文芸評論。
「形(フォーム):形式・見た目」と「意(アイディア):着想・理念・本質」の二つの言葉によって小説を論ずる。 「形」も「意」も重要だが、「形」にこだわって「意」のない小説を「下手の作」であるとし、「形」に対しては「意」が優位であるとする。 また、小説には主実主義(リアリズム)が重要であると主張し、物事を善悪の真っ二つに別けた二元論:二神教(デュアリズム)的な勧善懲悪物(勧懲)を批判する。小説に勧懲摸写の二あれど、云々の故に摸写こそ小説の真面目なれ。さるを今の作者の無智文盲とて古人の出放題に誤られ、痔持の療治をするように矢鱈無性に勧懲々々というは何事ぞと、近頃二三の学者先生切歯をしてもどかしがられたるは御尤千万とおぼゆ。【適当口語訳】 勧懲(勧善懲悪)物と写実なのと、二種類の小説があるが、写実のほうが小説としては真面目だろう。 ところが今の物書きと来たら字もろくに読めない莫迦ばっかりらしく、昔の作品をデタラメに解釈しては、「カンチョウ、カンチョー」とまるで痔持ちの治療みたいにやたらと言いやがるから、学者先生の中には歯ぎしりして苛ついている方もいるっていうのはまったくもってごもっともなことだね。 初出:「中央学術雑誌」1886年(明治19年)(2009/02/18(Wed) 16:01)
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♥ | 小説作法十則 |
| 作家名:芥川龍之介
芥川が、自分に課した「覚悟」とも言える散文。 神光寺かをりによる適当な要約はこんな感じ。- 小説はその中に詩的な部分があるから芸術に分類して貰っているが、文芸の中では一番芸術的ではないのだと自覚すること。
- 小説家は詩人であると同時に歴史家や伝記作家のようであるべき。
- 小説家は詩人である以上に歴史家・伝記作家、そして自叙伝作家であるから、自分の暗い人生に向き合わねばならない。
- 小説家は平穏無事な一生を期待してはならない。
- 比較的平和なる一生を得んと欲せば、畢に小説家とならざるに若かず。
平穏無事な一生を送った作家の作品や人生は、ボンヤリとしたモノにしかならない。 - 平穏無事な一生を送りたいなら、処世的才能を鍛錬せよ。
それによって硬質な良い作品が残せるとは限らないが。 - 小説家は文章の鍛錬を怠ってはならない。
- 時代によって小説には約束事がある。(どんなお約束が「正解」だったのかは歴史が決めることだ)
小説家はこの約束事に従うこと。 そうすれば、先人の良いところを自分に取り入れて作品を作ることができるし、世間から余分なことを色々言われずに済む。 天才はお約束を破って作品を作ることが多いが、そういう人の作品は中々受け入れて貰えない。 今の世に理解されることはもちろん、未来に自分を知っている読者を得られれば、こんな素敵なことはないだろう。 - 哲学、自然科学、経済科学的な思想にどっぷり嵌らないように注意しないといけない。
どんな思想理念も、人間という生き物の一生を支配しきれるモノではない。 だから一つの思想を持った状態でモノを見るのは、人生全体を表現するのには不便なモノだ。 小説家はありのままに見、ありのままに描くこと。 - 小説に黄金律なんてモノはない。
この十則も黄金律ではあり得ない。 どんなことがあっても小説家になれる人はなれるし、なれないヤツはなれないのだ。
、初出: 「新潮 第二四年第九号」1927(昭和2)年9月1日 仮名遣い種別: 新字旧仮名 (2009/01/22(Thu) 17:20)
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♥ | たゞの文学 |
| 作家名:坂口安吾
戦国時代から江戸時代までの切支丹弾圧をテーマとした短編イノチガケ(1940(昭和15)年発表)を批評家・小林秀雄(1902年(明治35年)4月11日〜1983年(昭和58年)3月1日)に見せに行った、というエピソードから始まる歴史小説論。《前略》 嘘と真実に関する限り、結局、ほんとうの真実などといふものはなく、歴史も現代もありはしない。 《中略》 要するに、歴史に取材した小説を書いても、それが一つの小説的な実在となる力があれば結構だと僕は思ふ。 《後略》 初出:「現代文学 第五巻第二号」大観堂 1942(昭和17)年1月31日発行 (2008/10/23(Thu) 13:56)
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♥ | 作家論について |
| 作家名:坂口安吾
坂口安吾による「作家論」論。
《前略》 我々は小説を書く前に自分を意識し限定すべきではなく、小説を書き終つて後に、自分を発見すべきである。 《中略》 僕は、できるだけ自分を限定の外に置き、多くの真実を発見し、自分自身を創りたいために、要するに僕自身の表現に外ならぬ小説を、他人の一生をかりて書きつゞけようと思つてゐる。 《後略》 初出:「現代文学 第四巻第四号」大観堂 1941(昭和16)年5月28日発行 (2008/10/23(Thu) 13:27)
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♥ | 文学のふるさと |
| 作家名:坂口安吾
坂口安吾の文章論的エッセイ。 例えば赤頭巾。グリム版では猟師に助け出されるが、ペロー版は狼に食べられたところで終わる。 太郎冠者を連れて寺に詣でた大名が、屋根の上の鬼瓦が妻が似ていると泣くだけの短い狂言。 貧しさ故に子殺しをせねばならない貧農の物語を書き、それは実際に自分がしたことだと告白して、作家・芥川を呆然とさせた農民作家。 三年がかりの恋が実ったと思ったその世、女が鬼に喰い殺されてしまったという伊勢物語中のエピソード。 「アンモラル(無道徳)な物語」をに出会った坂口は、それらに「絶対の孤独」を感じる。 そしてこの宝石のように美しく冷たい「絶対の孤独」、救いも慰めもない物語の中に、「文学のふるさと」「人間のふるさと」を見いだすのだった。
初出:現代文学 1941年7月28日 (2008/07/14(Mon) 20:08)
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♥ | 創作人物の名前について |
| 作家名:夢野久作
奇想の小説家・夢野久作の創作論(?) 探偵小説の中では、昔風に悪人と善人とを区別しなければならない場合が非常に多い。ズット昔(今でも歌舞伎なぞ)では悪人の人相が悪く、名前までも毒々しいが、この頃では……特に探偵小説の中では……人相の柔和な、美しい人物が思いもかけぬ大悪党だったり、札附の前科者が善人であったりしなければならない事が多いのだから、そんな感じの名前を最初から考えておく必要がある。衷心から気心の優しそうな名前の人間が、最後に手錠をかけられるような事を書くと、前にも述べたような理由で読者は何となく欺むかれたような不満を感ずる虞があるのだからそのヤヤコシイ事一通りでない。 いつの世のセンセイも、ネーミングには苦労なさっているようで。 (2008/07/14(Mon) 19:37)
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♥ | 小説家たらんとする青年に与う |
| 作家名:菊池寛
菊池寛アーカイブに依ると、大正12年(1923年)12月、著者34歳の時の文章。 著者の小説観、創作手法の一端が解る。僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則を拵えたい。全く、十七、十八乃至二十歳で、小説を書いたって、しようがないと思う。
中略 僕なんかも、始めて小説というものを書いたのは、二十八の年だ。それまでは、小説といったものは全く一つも書いたことはない。紙に向って小説を書く練習なんか、少しも要らないのだ。 小手先の技法に捕らわれず、人生修行に励んでから書きなさい、ということらしい。
底本:半自叙伝 (講談社学術文庫) 初版発行日: 1987(昭和62)年7月10日 (2008/06/30(Mon) 17:57)
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♥ | 推理小説について |
| 作家名:坂口安吾
随筆。 横溝正史の「蝶々殺人事件」をメインテクストに、角田喜久雄、小栗虫太郎、木々 高太郎、などを俎上に上げ、日本の推理小説について少しばかり苦言を呈する内容。 ドストエフスキーなども引き合いに出されてる。日本の探偵小説は衒学すぎるところがある。ヴァン・ダインの悪影響かと思うが、死んだ小栗虫太郎氏などゝなると、探偵小説本来の素材が貧困で、それを衒学でごまかす、こういう衒学は知性のあべこべのもので、実際は文化的貧困を表明しているものなのである。世間一般にあることだが、独学者に限って語学の知識をひけらかしたがるが、語学などは全然学問でも知識でもなく、語学を通して読まれたテキストの内容だけが学問なのだが、一般に探偵小説界は、まだ知識の語学時代に見うけられる。 法医学上のことなども、衒学的にふりかざゝれており、別にそうまで専門的なことを書く必要もないところで法医学知識をふりまわす。そのくせ重大なところで、実は法医学上の無智をバクロするというような欠点もある。 初出:「東京新聞 第一七八一号、一七八二号」 1947(昭和22)年8月25日、26日 底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房 1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行 (2008/06/07(Sat) 20:24)
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♥ | 探偵小説を書くときの二十則 |
| 作家名:S・S・ヴァン=ダイン 翻訳者:SOGO_e-text_library
S・S・ヴァン=ダイン(S. S. Van Dine)、本名・ウィラード・ハンティントン・ライト(Willard Huntington Wright)は、20世紀初頭アメリカの美術評論家・推理小説作家。(1888年10月15日 - 1939年4月11日) 探偵小説家としての代表作は僧正殺人事件、グリーン家殺人事件といった、素人名探偵ファイロ・ヴァンスが活躍するシリーズなど。 「二十則」は、彼が自らの創作のための決意もかねて、アンソロジー『世界短編傑作集』序文に「推理小説を書く上での鉄則」として記したもの。日本では作者の名を冠して「ヴァン・ダインの二十則」とも呼ばれている。 以下、「そうとう私見の交じった『あらすじ』」(よい子はCTRL+Aとかコマンドキー+Aなんてショートカットは使わないし、範囲指定して反転表示もしない)- すべての手がかりを読者の目の前にさらせ。
- 作中の人物による犯罪用トリック以外の「ごまかし」で読者をペテンにかけるな。(「叙述トリック」の否定)
- 恋愛を絡ませるな。
- 探偵自身やその仲間を犯人に変貌させるな。
- 犯人は推理によって捕らえよ。
事故や偶然の一致で犯人が捕まったり、犯人が勝手にぺらぺら自供したりだと? ふざけたことを抜かすな。
- 探偵を登場させ、彼にしっかり調査をさせること。自分で得た手がかりで解決できないようでは、問題集の巻末を書き写す駄目な小学生と変わらない。
- 探偵小説には死体が必要。軽犯罪では読者が300ページ読む努力が報われない。
- オカルトチックな方法で解決を導いてはならない。
- 事件を解決する人物は一人だけにすること。集団探偵は一人の読者をリレーチームと競争させるようなもので、ずるい。
- 犯人は物語上重要な役目を負っていて、読者がよく知っている人物でなければならない。
- 犯人は普通なら嫌疑がかけられないような人物でなければならない。端役の下っ端が犯人じゃつまらん。
- 犯人は一人とせよ。共犯者がいたとしても、犯罪の全責任は一人の人物に負わせよ。
- 犯人は「謎の組織」や「マフィア」の一員ではならない。魅力的な敵役はその傘の下に逃げ込むようなマネをしないもんだ。
- 殺人の手段・解決の方法を「似非科学」や「想像の産物」「未知の毒物」に求めるな。空想科学小説っぽくし過ぎると、野放図な冒険小説になってしまう。
- 読者が作中のヒントだけで「アレに気付けば俺でも解決できたのか!」ってなカタルシスを得られるようにしておくこと。
- 長ったらしくて文学的すぎる説明・描写、過剰な雰囲気作りをするな。説明と描写は適切な範囲に収めよ。
- 「職業的犯罪者」を犯人にするな。常習窃盗犯の捕縛は警察の業務であり、素人探偵の仕事ではない。
- 作中の事件を、事故や自殺なんてオチでまとめるな。
そんな尻すぼみなインチキは読者が許さない。
- 犯罪の動機は個人的なモノであるべき。国際的陰謀や国家戦略はスパイ小説などに任せよ。
- 以下のような使い古されたネタを使うようじゃ、無能で独創性がないってことを公言しているのと同じことだ。
- 現場の吸い殻と容疑者の煙草の銘柄の比較
- 嘘の降霊術で犯人をビビらせる
- 指紋の偽装
- 替え玉による不在証明
- 「あのとき犬は吠えなかった」
- 無実の容疑者の双子やそっくりないとこが真犯人
- 謎の注射や即効性の毒薬
- 警官が部屋に踏み込んだ後で、密室状態に偽装工作
- 連想ゲーム的な犯人の指摘
- 唐突に探偵が「暗号」を解読してしまう
ここに上げた『鉄則』や、ノックス師による「十戒」といったセオリーは、必ずしも守らなければならないと言うモノではない。 守られていない作品や、これを逆手に取り、あえて破ることによって成功した名作も多々ある。 (2008/05/07(Wed) 09:39)
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♥ | 現今の少女小説について |
| 作家名:宮本 百合子
習作。 完成原稿ではないので、改行の位置などの乱れ誤字と思われる記述などが散見される。 宮本 百合子(1899年2月13日 - 1951年1月21日)は昭和期の小説家(プロレタリア文学)、評論家。 このテクストは、底本解題の著者・大森寿恵子(宮本百合子の元秘書)によれば、1914(大正3)年4月24日執筆と推定されるとのこと。 とすれば、文壇デビュー(1916年、当時17歳)前、15歳の文章ということになる。
世の中にありあまるほどいらっしゃる少女小説の作者に申します。 失礼な申し分かも知れませんが若い娘共に只悲し味と云うものばかりほか注ぎ込んで下さらないのなら、どうぞ筆をお持ちになることをやめて下さいまし。 若しつくそうと思って居て下さる方々へはどうぞ価値のある力強い、美術的な又芸術的な、一つの或る馬鹿に出来ないものである少女小説をお出し下さい。 私は今の少女小説は、悲しみの毒虫と云います。 (2008/04/09(Wed) 12:11)
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♥ | 続文芸的な、余りに文芸的な |
| 作家名:芥川龍之介
芥川による文学評論。タイトル通り、「文芸的な、余りに文芸的」の続き。 「昭和二年五月六日」の日付がある。 十章からなるが、各章とも全体的に短い文章で書かれている。 七章【語彙】では、昔と今とで言葉の意味に変化があることを上げ『僕等の語彙はこの通り可也混乱を生じてゐる。』とし、『従つてこの混乱を救ふ為には、――一人残らず間違つてしまへ。』と締めている。 (2008/01/18(Fri) 13:45)
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♥ | 文芸的な、余りに文芸的な |
| 作家名:芥川龍之介
芥川による文学評論。 四十章からなり、二章と二十九章に、同時代の作家で友人でもあった谷崎潤一郎とのとの「小説の筋の芸術性」をめぐる論争を含む。 第一章【「話」らしい話のない小説】で『僕は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思つてゐない。従つて「話」らしい話のない小説ばかり書けとも言はない。』と始まり、四十章【文芸上の極北】を『文芸の極北はハイネの言つたやうに古代の石人と変りはない。たとひ微笑は含んでゐても、いつも唯冷然として静かである。』と結ぶ。 三十八章では「通俗小説(大衆文学)」と「芸術小説(純文学)」について短く論じる。 曰く 『 所謂(いはゆる)通俗小説とは詩的性格を持つた人々の生活を比較的に俗に書いたものであり、所謂芸術小説とは必しも詩的性格を持つてゐない人々の生活を比較的詩的に書いたものである。』 『(「所謂通俗小説論はポピユラア・ノヴエルには通用しない。」と前置きし)ベンネツト(Arnold Bennett)は彼のポピユラア・ノヴエルに Fantasies の名を与へてゐる。それは事実上あり得ない世界を読者の為に広げて見せるからであらう。』 続編の続文芸的な、余りに文芸的なには「昭和二年五月六日」の日付がある。 初出:雑誌「改造」1927年(昭和2年)2月号〜8月号 (2008/01/18(Fri) 13:45)
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♥ | 大衆文芸作法 |
| 作家名:直木三十五
エンターテインメント文学の新人に与えられる文学賞「直木賞(直木三十五賞)」の名称の由来となった大衆文学作家による、大衆文学考。 「大衆文学の定義」「大衆文学の意義」「大衆文学の歴史」「文章に就いて」「時代小説」「科学小説」「探偵小説」「少年小説と家庭小説」「ユーモア小説」「愛欲小説」「結論」の11章からなる。 「文章に就いて」の章では芸術としての文学と通俗・大衆文学との表現の違いについて、東西の作家の文章を引用して解説。 曰く(前略) だから、芸術小説と大衆小説との分岐点は題材の如何にあるのでは無くて、寧ろその文章にあるのである。 (中略) そこで、大衆文芸の文章は? くだけて云うなら、難渋な文章を書いてはいけないのである。 (中略) 平易な文章というのは、自分の文章の特色を没却することを意味するのでは断じてない、ということである。(中略)よき文章家には、必ず隠そうとして隠し切れないであろう特色が、自らその文章に浮び出るものである。 (後略) (2007/12/01(Sat) 15:05)
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