■ 黄色と赤と(本丸跡)[別窓]
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登録: 2007/11/16(Fri) 16:27 更新: 2009/05/31(Sun) 19:26
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上田城址公園内。本丸跡の広場の紅葉。
上田城は慶長五(1600)年の第二次上田合戦の後、徳川方に徹底的に破壊された。 その後、真田信之公が上田藩主として入城するが、修繕の許可が幕府より下ることはなかった。 信之公松代へ移封の後に藩主となった仙石忠政公が再築を始めたものの、公の逝去により中断。 その後、松平公時代になっても本丸の再建は行われなかった。 廃藩置県で廃城となった上田城の土地は、明治7年(1874年)に民間に払い下げられる。 本丸周辺を買い取った丸山平八郎氏は、明治12年に本丸跡南側の土地を松平神社(現眞田神社)用地として、明治26年(1893年)に残りの所有地も遊園地用として市に寄付。
一時期本丸跡には民家(1970年代にはお土産や軽食を商っていた店があったと記憶するが、定かで無し)が立っていたが、今は撤去されており、他より一段高い平らなスペースが往時をしのばせるのみとなっている。 |
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■ 真田神社を横から[別窓]
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登録: 2007/11/16(Fri) 16:07 更新: 2011/04/08(Fri) 16:30
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上田城址公園内。眞田神社境内を横(北側)から。
廃藩置県で廃城となった上田城の土地は、明治七年(1874年)に民間に払い下げられる。 本丸周辺を買い取った丸山平八郎氏は、松平神社創建にあたって、本丸跡南側の土地を提供(明治12年)。 これが現在の眞田神社である。
なお、丸山平八郎氏は明治26年(1893年)に残りの所有地も遊園地用として市に寄付。 これによって上田城址公園が整備されることとなる。 |
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