■ 旧真田邸[別窓]
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登録: 2010/09/17(Fri) 19:31 更新: 2010/09/17(Fri) 19:31
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元治元年(1864)に松代九代藩主・幸教の母、貞松院の宅邸として建てられ、後は藩主の隠居所となり明治維新後は真田家の別宅として使用された。 昭和41年に真田家から旧松代町(元長野市)に寄贈され、現在は真田宝物館の一部として一般公開。 7973uの敷地には長土塀・屋敷門・長屋・白倉や小堀遠州の流れをくむ庭園などが残り、数が少ない当時の大名屋敷として大変貴重な存在で国指定史跡に指定されている。 |
訪れた日はちょうど改修工事で休館中だったので、門構えだけ(泣) |
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■ 恩田木工屋敷跡の碑。[別窓]
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登録: 2010/09/17(Fri) 19:24 更新: 2010/09/17(Fri) 19:24
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江戸時代中期の松代藩家老「恩田民親」の屋敷跡の碑。 |
恩田木工(「杢」とも)民親(享保2年(1717年) - 宝暦12年1月6日(1762年1月30日)) 江戸時代中期の松代藩家老。 宝暦7年(1757年)松代藩六代藩主・真田幸弘により「勝手方御用兼帯」に任ぜられる。 財政的に逼迫していた藩政を立て直すため、質素倹約を励行し、贈収賄を禁止、不公正な民政の防止など前藩主時代に弛んだ綱紀の粛正に取り組んだ。 在任中は、藩財政自体の改善は見られなかったが、公正な政治姿勢や文武の奨励は、藩士・領民の意識を改革した。 宝暦12年(1762年)正月、病を得て死去。享年46。
木工の業績については「日暮硯」に詳しい。 もっと柔らかめに知りたい方は池波正太郎の「真田騒動―恩田木工 」で。 |
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